2010年08月22日

共感覚表現「色が身にしみる」とはどういう意味か

●白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(藤原定家)
(しろたへの そでのわかれに つゆおちて みにしむいろの あきかぜぞふく)
「お互いの白い着物の袖を引き離して、私たち二人が別れる時が来ました。私の袖には秋の露のような涙が落ちて、そこへ身にしみる色をした秋風が吹きつけています」

これは、後鳥羽院の下命によって新古今和歌集の『恋歌 第五巻』の巻頭を飾った名歌。私としては、恋歌の最高級品の一つと言ってよい歌だと思っている。

僕自身が人生で一番の目標とする恋歌の一つでもあるが、今回は、「身にしむ」という日本語を考えてみる。なぜなら、「身にしみるもの」が当時の日本人にとって何であったかを見てみるに、それは「色」である、と詠んである和歌が多いことの意味を考えたいからである。

「身にしむ」は、「秋風」とセットで使われることの多い表現であるが、「秋風の色」に限らず、「桜の色」や「月の色」、そういうものまでが「身にしみる」と、和歌には詠まれている。「色」という語がなくとも、「空が身にしみる」「花が身にしみる」「香りが身にしみる」と詠んである歌も多い。

そもそも、「しみる」という日本語は、今の「見る」「聞く」「匂う」などを含んでいたようで、「見る」を使わずになぜ「しみる」を使うかといった議論は、ただの和歌の高尚な知識と技巧上の問題で、本来は「色が匂う」「香りを聞く」「音がしみる」と言ってもよい。「しむ」に当てられた漢字は、手元の古い辞書を見ても、「染む・沁む・浸む・凍む・滲む・入む・薫む・點む・視む・震む・枕む」などがある。

そこで、最も堂々と、しかも恋の歌として、「身にしむ色の秋風」を高らかに宣言している冒頭の定家の歌を挙げてみたのである。

この歌に対するこれまでの近現代日本の和歌研究者の解釈は、まず例外なく、「定家は『女の血の涙(紅涙)』を想定して詠んだ」というもので、つまりは、「白い着物に赤い涙が落ちるという、紅白の対照の鮮やかさが目に浮かぶようだ」という「最もらしき」解釈が一般的だった。

けれども、下句の「色が身にしみる」という内容、つまり「視覚で見る色が私の肌に触覚としてしみる」とはどういうことかについては、和歌研究者・国語学者の中でもあまり語られていないように思う。

かろうじて翻訳した和歌研究者でも、「本来は、色彩とは目で見るものだが、まるで身にしみるかのような美しい透明色をした秋風が〜」などという解説を添えるのが一般的である。あるいは、「いや、身にしみる色が、秋風の無色透明の色のことであるはずがない。身にしむ色なのは涙だ」と予想して、「女の血の涙が身にしみるような赤色で」といった解釈まで一般的になってきた。

つまりは、目で見ない色彩を描いた和歌の「色」は、全部比喩だと解釈した。しかし、それをあえて覆そうとしたのが、前回でも挙げた塚本邦雄だった。氏がそれを明確に言った時代(昭和40年代)には、もちろん、心理学・神経科学の対象としての「共感覚」という概念を、国文学者や歌人はまだ知らなかった。

塚本邦雄の考えをまとめると、「確かに白と赤(血)という視覚的な対比もあったかもしれない。しかし、その意味があったとしても、それはこの歌のほんのごく一部の味であり、この歌の契機である。『秋風の色』とは何かについても、『色』という語を景色・様子と解せば矛盾しないとか、いや、無色透明の風に色があるのは変だから、これはただの比喩だろうとか、野暮な解釈ばかりしてきた。けれども、そんなことは、この歌にとってはどうでもよいことである。女の涙が透明か紅色か、秋風の色とはどんな色か、そんなことはどうでもよい。そんな『色』は日本語の『色』ではない。定家にとって、視覚的な色も、秋風も、とにかく身にしみるものだったのであり、視覚的な『色』が身にしみるのではなく、身にしみるものを日本語では『色』と言うのである」ということである。

つまり、「color」は「色彩」であるけれども、「色」は「color」ではない。塚本邦雄は、科学用語である「共感覚」という語がないときから、これを言っている。

「いやはや、いったい、無色透明であるはずの秋風に色が付いていて、それが男女の肌に身にしみる、とはどういうことか。どうしてそんなおかしなことを定家が詠んだのか」などという問いが、近代化以降の日本の和歌研究者の重大な問いだった。

けれども、塚本邦雄をはじめ、新古今集の重要性に気づいていた少数の人たち(明らかに当時から歌壇の劣勢・異端であり、今もそうである)は、現代日本人の機械的に分化された五感による解釈に疑念を持っていたようである。

●秋吹くはいかなるの風なれば身にしむばかりあはれなるらむ(和泉式部)
(あきふくは いかなるいろの かぜなれば みにしむばかり あはれなるなむ)
「秋風がいったいどんな色に吹くからといって、このように身にしみるほどに胸の苦しい私の恋でしょうか」

この歌における「色」も、ほとんど現代日本人の知覚・認識能力の外にある世界であって、戦後日本においてこの定家や和泉式部の歌を理解し、知覚・認識できたのは、塚本邦雄や堀田善衛など、ごく少数であると思う。

身にしみてあはれなるかないかなりし秋吹く風をよそに聞きけん(和泉式部)
(みにしみて あはれなるかな いかなりし あきふくかぜを よそにききけん)
「恋に落ちる前は、秋風が吹いても私は平気でしたし、心を落ち着けて鑑賞さえできましたのに、今はこうして、身にしみてとても胸が苦しい秋風です」

これには「色」という単語は出てこないから、現代の和歌研究者たちは、そのまま「秋風が身にしみる」と訳した。けれども、「色」が入った定家の歌を見た途端に、大議論になったのである。「秋風が身にしみる」のは触覚だからわかる、しかし「秋風の色が身にしみる」のは、五感表現としておかしいから比喩である、と多くの和歌研究者が言ったのであった。

これによって、新古今集の特色として、「比喩表現の多用、幻想美、空想美」といった用語ばかりが散りばめられるようになり、それらが定家にとっては「非幻想の現実、共感覚の写生」であったとの視点のほうは消えていったようである。

ちなみに、定家の父である藤原俊成は、

●夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
(ゆふされば のべのあきかぜ みにしみて うづらなくなり ふかくさのさと)

と詠んでいる。これにも「色」という単語は出てこないから、現代の和歌研究者たちは、そのまま「野辺の秋風が身にしみて」とだけ訳したのである。それ以来、「身にしみる」という日本語は、ほとんど合理的に分化された五感としての触覚的要素に限定されていった。

この俊成の名歌の翻訳でも、ただの触覚だけが想定された。「肌で秋風の色が見えた」という感慨、さらに、どんなに和歌に精通していても、俊成がこの「鶉」という鳥に仮託して女を詠んだときの感慨は、至極共感覚的なものだったのではなかろうか。

そして、「野辺の秋風身にしみて」なる表現のさらに高みを行き、「身にしむ色の秋風」と堂々たる共感覚を宣言した息子の定家。まさにこの歌を詠んだとき、「自分は父を超えた」と思っただろう。

最後に、「身にしむ」という表現が使われた過去の和歌と、同表現を含む拙作和歌とを挙げておこうと思う。私がまだまだ俊成にも定家にも及ばないことは、一目瞭然であるが。

●更け行けばかすめる空も身にしみていかにひさしき月となるらん(藤原基家)
●真萩ちる庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく(永福門院)
●いかがふく身にしむ色のかはるかなたのむる暮の松風の声(八条院高倉)
●よそにだに身にしむ暮の鹿のをいかなるつまかつれなかるらん(俊恵)
身にしみてあはれしらする風よりも月にぞ秋のはありける(西行)
移り香の身にしむばかりちぎるとて扇の風のゆくへたづねむ(藤原定家)
●今宵たれすず吹く風を身にしめて吉野の嶽の月を見るらむ(源頼政)
●風の音身にしむ色はかはらねど月にいく度秋を待つらむ(順徳院)
身にしみて思ふ心の年ふればつひににも出でぬべきかな(藤原敦忠)
●いつしかと朝けの風の身にしみてさやかにかはる秋は来にけり(藤原為家)
●春はなほ花のにほひもさもあらばあれただ身にしむは曙の空(藤原季通)
●吉野山すず吹く秋のかり寝より花ぞ身にしむ木々の下風(細川幽斎)
●ほのかにもあけゆく星の林まで秋のと見れば身にしむ(荷田春満)

以下、拙作。

●明暗れの床の上風身にしみて星を見果てぬ衣の下陰
(あけぐれの とこのうはかぜ みにしみて ほしをみはてぬ きぬのしたかげ)
●待つ人に飽かぬ花野を眺むれどさても身にしむ秋風の
(まつひとに あかぬはなのを ながむれど さてもみにしむ あきかぜのいろ)
●秋風のは雪にも近やかにけはひ身にしむ森の白草
(あきかぜの いろはゆきにも ちかやかに けはひみにしむ もりのしらくさ)
●端山より身にしむ色の黒髪に秋風かすむ袖の別れ路
(はやまより みにしむいろの くろかみに あきかぜかすむ そでのわかれぢ)
●袖別れ残る直香の身にしみて面影霞む春の夜の夢
(そでわかれ のこるただかの みにしみて おもかげかすむ はるのよのゆめ)
●手鏡はただよそながら臥し起きてさても身にしむ霜の袂は
(てかがみは ただよそながら ふしおきて さてもみにしむ しものたもとは)
●袖の梅雨限りは知らじとばかりに黒白もなき南風ぞ身にしむ
(そでのつゆ かぎりはしらじ とばかりに くろしろもなき はえぞみにしむ)
●風にしむ露の我がは秋の吹き返す袖のよその移り香
(かぜにしむ つゆのわがみは あきのいろ ふきかへすそでの よそのうつりが)
●ひとり聞く秋の梢に時過ぎて残る我が身にしむ風の
(ひとりきく あきのこずゑに ときすぎて のこるわがみに しむかぜのいろ)
●袖の露袂の紅葉身にしみて秋吹く風のなきを聞く
(そでのつゆ たもとのもみぢ みにしみて あきふくかぜの なきいろをきく)
身にしみてなほも髪梳く秋風は頼めし果ての玉響の
(みにしみて なほもかみすく あきかぜは たのめしはての たまゆらのいろ)
●ひとり寝る身にしむ色はさむしろや恋越す秋の白妙の風
(ひとりぬる みにしむいろは さむしろや こひこすあきの しろたへのかぜ)
●来る夜半と頼めし色を身にしめて風に恋織る秋の糸姫
(くるよはと たのめしいろを みにしめて かぜにこひおる あきのいとひめ)
●悲しみは別れかたに雨落ちてしむ音にわたる秋風の
(かなしみは わかれかたみに あめおちて しむねにわたる あきかぜのいろ)
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2010年08月20日

「狂気の沙汰」と批判された本居宣長の反共感覚的国語観

●大空は梅のにほひに霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月(藤原定家)
(おおぞらは うめのにほひに かすみつつ くもりもはてぬ はるのよのつき)

●梅の花にほひを移す袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ(同上)
(うめのはな にほひをうつす そでのうへに のきもるつきの かげぞあらそふ)

これらは、新古今和歌集にもある、大変に評価の高い定家の春の歌。僕が和歌史上最も好きな春の歌の二つで、眺めているだけで目頭が熱くなるくらいだ。ところがである。かの江戸時代の本居宣長の『美濃廼家苞(みののいへづと)』(寛政三年、1791年)という文献を読んでいると、特に前者の歌の評価に否定的で、次のように改作しろと書いてある。

●大空は曇りも果てぬ花の香に梅咲く山の月ぞ霞める(本居宣長)
(おおぞらは くもりもはてぬ はなのかに うめさくやまの つきぞかすめる)

そして、本居宣長の無謀な改作の勧めは散々に批判されていて、例えば石原正明の『尾張廼家苞(おはりのいへづと)』(文政二年、1819年)は、本居宣長に対して、そんなことで定家に文句を付けるのは狂気だと突き放している。現代歌人で僕が一番好きな塚本邦雄も、これを「狂気の沙汰」で、宣長の定家観は根本的に疑わしいと述べている。

ちなみに、同じ風情を歌った歌には、同じ新古今の、

●照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(大江千里)
(てりもせず くもりもはてぬ はるのよの おぼろづくよに しくものぞなき)

があり、こちらは「狂気の沙汰」だとは誰からも言われていない代わりに、難解な表現を最初から含んでおらず、「しくものぞなき(匹敵するものなどない)」と無難に言い切っている。つまり、「〜の月」「〜霞んでいる」という事実だけを述べるのではなく、「匹敵するものなどないだろう」と私見を入れて、和歌の評価が落ちるのを多少ごまかしていると思う。けれども、この歌もまた、定家の歌と同じく、本居宣長の歌よりは「良い歌」だ、ということは、僕のような素人歌人にもなぜかわかる。

さて、近世以前の日本史上の和歌批判というのは、理由を明確に述べずに、ただ「狂気」「野暮」「狂っている」「頭がおかしい」とだけ言って(いわば「批判と諧謔味の混じった批判」として)終わることが多いので、その和歌が劣っているとされた理由については、我々現代日本人が頑張って汲み取るしかない。

そこで、とりあえず今は「新古今時代の和歌に批判的である歌人や学者に対する批判」に限ってみると、これがなかなか面白い。どのような歌人や学者が「狂気」「野暮」と言われたかを見てみるに、どうやら五感を混交させた象徴表現、昨今の心理学・生理学などで「共感覚」と呼ばれている感性のあまりに欠如した歌人や学者が、割とそのような批判を受けているようである。また、そのことによって、逆に藤原定家の並はずれた「共感覚的な感性」というものも、いっそう浮き彫りになる気がする。

定家の歌は、現代日本語と現代日本人の五感に極めて翻訳しにくいのではなかろうか。定家は、和歌の本質などは本能で理解せよと思っていた人であったが、ここで言う「本能」とは、「五感なる分裂的知覚概念を我々人間の自己意識が認識する前の、全ての感覚・体感」と言ってもよいと思う。

「梅の匂いに霞んだ大空」とは、何だろうか。定家は、「自分には匂いが見えている」という表現をためらいなく多用する。「梅の花の匂い(嗅覚)」と「軒を漏ってくる月の影(視覚)」とが争うと言うなどは、「かぐわしい紅茶」と「美しい絵画」のどちらが優秀か、という問いと同じくらい、現代の我々にとっては意味を見い出しにくい問いではないだろうか。

ところが、定家には意味があった。定家どころか、いつのまにか歌壇全体が象徴表現や共感覚の嵐となって、定家の家系「御子左家」は、唯美主義的・共感覚主義的な歌を詠む家となって、共感覚表現に溢れた新古今集の編纂に至った。

ただ「争ふ」とだけ言って止める。匂いに月が霞む、嗅覚と視覚とが混ざり合う、そしてその混ざり合いが本当に「見える」ようなことが人間にはある、ということを、定家は信じていたか、実感していた一方で、本居宣長はそういうことは案外嫌った。

宣長は他にも、定家の有名な「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」の歌について、「浦の苫屋の秋の夕暮に花やもみじがないのは当たり前なのだから、ないものをわざわざないと詠むのは無駄である」といった非難をおこなっている。これも、宣長が「虚無の美」、すなわち「目の前にないからこそ人の心に面影として浮かび上がってくるものの美しさ」が認識できていなかったか、認識できていても馬鹿にしていたかの、どちらかなのだろう。

どうも宣長は、新古今時代の日本人や定家の知覚世界・認識世界というものが、嫌いで嫌いでどうしようもなかったらしい。そうかと言って、彼は万葉・古今・江戸時代和歌のどれかに偏った人間だとまでは言えそうもなく、源氏物語をはじめとする「もののあはれ」の主唱者であったのだから、全く不可思議なものである。単に「和歌」というジャンルに疎かっただけなのだろうか。

当時は、山片蟠桃をはじめ、「こんな非合理的な和歌や俳句ばかりやっているから、日本の男は西洋人の男に追いつけないのだ」という風潮も出た時代であり、「ますらをぶり」という概念もこの時代に出た。もしかして宣長は、「もののあはれ」や「たをやめぶり」を密かに守らんとして、わざと共感覚が目立たぬように、「花の香り」と「霞む」とを切り離し、間に言葉を挟んで「梅が咲く山の月が霞んでいる」という平凡で無難な表現にしたにすぎないのだろうか。

石原正明や塚本邦雄が宣長を「狂気呼ばわり」したのは、まさに宣長が「過去に日本人が蓄積してきた茫漠とした象徴美や共感覚を和歌から取り去ろうとした」点ではなかったかと、僕は考えている。

もちろん、定家や塚本邦雄が和歌人・短歌人そのものであり、宣長はそれらを外から見る国学研究者であったという点で、宣長の歌人としての評価は言うまでもないとは言えるのかもしれない。しかし、全体として、宣長の国語観が反共感覚的なものであることは、その著作からも確かに感じられる。

僕が拙著で論じた「日本語の『にほふ』『にほひ』は、視覚と聴覚と嗅覚とが未分化の共感覚そのものを表した語であった」という私見も、ある意味では、遠回しの宣長批判であり得るのかもしれない。僕は宣長を「狂気の沙汰」とまで言う勇気はないけれど。

ちなみに、「春の夜に、目には見えないはずの梅の匂いが見え、それが月を曇らせ果てないまでも霞めている」という風景を詠んだ僕の歌を、いくつか挙げてみる。いつまで経っても定家に追いつける気がしない。定家の和歌は、日本語の魔術の一つの極致だと僕は思っている。

●春の月曇りも果てぬにほひまで霞む夜空の梅が香を聞く
(はるのつき くもりもはてぬ にほひまで かすむよぞらの うめがかをきく)
●春霞月も朧に曇りつつ咲き白む梅ににほふ大空
(はるがすみ つきもおぼろに くもりつつ さきしらむうめに にほふおおぞら)
●大空は曇りも果てず春の夜の月さへ霞むあはれ梅が香
(おおぞらは くもりもはてず はるのよの つきさへかすむ あはれうめがか)
●春の夜や曇らぬほどに白梅のにほひの霞大空に立つ
(はるのよや くもらぬほどに しらうめの にほひのかすみ おおぞらにたつ)
●空はなほ曇らで霞む梅が香や春の朧にかをる月影
(そらはなほ くもらでかすむ うめがかや はるのおぼろに かをるつきかげ)
●曇り果てず大空霞む朧月誰がかこつらむ梅のにほひに
(くもりはてず おおぞらかすむ おぼろづき たがかこつらむ うめのにほひに)
「曇り切らない大空が梅の匂いに霞んで、朧月も霞んでいるが、誰が梅の匂いに対して、月をはっきり見るためにそこを退けよと愚痴をこぼすことがあろうか」

●春の夜の袖の色香を梅に見て曇りも果てず霞む眦
(はるのよの そでのいろかを うめにみて くもりもはてず かすむまなじり)
●月影に袖を濡らさば春の夜の梅のにほひに空霞む頃
(つきかげに そでをぬらさば はるのよの うめのにほひに そらかすむころ)
●梅咲かばにほひに曇れ朧月袖宿る影の涙掠めて
(うめさかば にほひにくもれ おぼろづき そでやどるかげの なみだかすめて)
●霞みあへず月の色人ほの見えて空と袖とに残る梅が香
(かすみあへず つきのいろびと ほのみえて そらとそでとに のこるうめがか)
posted by 岩崎純一 at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 共感覚論

2010年08月04日

爆笑問題の太田光氏も閃輝暗点らしい

僕は「閃輝暗点」という症状を持っているのですが、なんと爆笑問題の太田光氏も持っているようで、以下のラジオのちょうど2分くらいから、この症状を説明しています。

http://www.youtube.com/watch?v=j0ptJuY61i0

僕の症状は以下の通りですが、太田氏とほとんど同じですね。

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両目の視界がチカチカし始め、様々な色が現れる。
→10〜30分ほどで視界の全部または一部が欠ける。
→視界のチカチカが消え始め、完全に消えて再び目が見えた頃に、激しい頭痛が始まる。
→激痛は1〜3時間続く。
→学校の保健室(今は職場の机)で休む(寝る)。その後、早退するなどの対応をする。

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僕の場合、閃輝暗点が起こるのは、次の場合です。

●女性の生理を感知したとき
(高校生のときは、女子生徒の生理を感知して保健室に直行しても、保健の先生が生理期間の場合、視界の乱れと激痛が2倍に。)

●極度の離人感に陥ったとき
(ICD-10において「離人・現実感喪失症候群」とされているものに該当すると思われます。)

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昔は日本にも、生理期間中の女性を入れる生理小屋がありましたが、これは女性差別ではなく、「生理を感知した男が体調を崩して狩りなどに行けなくなるのを防ぐ策」だったという予想を、僕は持っています。

僕の持つ女性の排卵・生理感知の共感覚は、昔の男性なら皆持っていたと思います。同じような男性を見つけるのが、今の夢です。
(2010年12月26日 追記:なんと今年中に、同じ感覚を持つ男児数人が見つかり、交流を持ちました。同世代の男性でも見つかると思います。)

閃輝暗点自体は女性に多く、心的外傷などによる脳の血管の急激な収縮・弛緩と言われますが、ニューロンそのものの変化という説もあります。