2010年09月27日

超音波を感知する共感覚についての考察

前回のモスキート音について、一般の読者の方々にもわかりやすいように、「一般的な音波の知見」を踏まえながら、それと「僕の超音波察知の共感覚」との比較から得られる結論をメモしておきます。

【A】「一般的な音波の知見」

■まず、人間の可聴音域について。

●平均して20Hz〜20000Hzであり、年を重ねるにつれて特に高音域が衰え、20Hz〜6000Hzほどに縮まるが、これだけ聞こえれば人との会話に困ることはない。
●20000Hzよりも高い音波(弾性波)を超音波・高周波、20Hzよりも低い音波(弾性波)を低周波と言う。可聴範囲を「超えている」という意味では、低周波も超音波だが、普通は高周波だけを超音波と言う。
●胎児・嬰児・幼児には、20Hz〜50000Hzが聴覚で聞こえるとされる。骨伝導(耳の後ろの骨で聞く)などによれば、成人でも聞こえる人がいる。
●音圧と周波数の関係は、等ラウドネス曲線(以下の画像)に従う。つまり、超高音・超低音ほど、聞こえるためには大音圧を要する。特に超高音域においては、計算上、人間の聴覚で知覚するには無限大の音圧を要するようになる限界が存在する。
等ラウドネス曲線

■次に、国語辞典の超音波の定義。

●広辞苑・・・振動数が毎秒2万ヘルツ以上で定常音として耳に感じない音。
●大辞林・・・振動数が 1 万 6 千Hz以上で、人間の耳に感じない音波。現在では高い周波数をもつ各種の弾性波をいう。
●大辞泉・・・振動数が毎秒2万以上、周波数16キロヘルツ以上で、人間の耳には音として感じられない音波。
★広辞苑では、振動数を厳しく設定している。
★大辞林では、音波が弾性波であることを強調している。(難解な話になりますが、これはすなわち、媒質の粒子の密度の変化を伝播させる疎密波である縦波だけでなく、固体中を伝播するねじれ波である横波も音波だということを、「音波は空中を伝わって聞こえてくる」という一般の人々の勘違いや通念を先回りして、ことさら強調したものと思われます。)
★大辞泉では、振動数と周波数の概念を厳密に区別している。(この4000Hzの差異は、力学的現象としての振動数と電気振動としての周波数とをことさらに区別した結果である可能性もあります。例えば、周波数18000Hzが知覚できなくとも、振動数18000Hzが知覚できる場合はあるため、振動数を高く設定しなければ、「超」音波という呼称はおかしくなるからです。)
★全体として、現行の国語辞典の超音波の定義には、それほど目を見張るべきところはないが、誤謬もなく無難に書いてあるとも言える。

■次に、日本工業規格(JIS)による超音波の定義。

●正常な聴力を持つ人に聴感覚を生じないほど周波数(振動数)が高い音波(弾性波)
★何を言っているのかよくわからない定義。「正常な聴力」「生じないほど高い」のところが曖昧すぎる。

■次に、ネズミ駆除業者などの超音波(モスキート音)発生装置製造業者による超音波の説明。

●一般的に15KHz(キロヘルツ)以上の人間に聞こえない音を『超音波』と呼び、ねずみは人間の約20倍の『超音波』を感じると言われています。
●16KHzを超える音は「超音波」と呼ばれ、人間には聞こえないため、人体に影響はありません。
●「超音波」とは、15000Hz以上の音波を言い、人間には聞こえません。
★ここからわかることは、ネズミ駆除業者が設定している人間の可聴音域が異常に狭いことである。売り上げの拡大や人体への無影響の主張などの事情のためかもしれないが、いずれにせよ、多少なりとも「15000Hz以上の音は人間には聞こえないことにしよう」という、同業者間の作為的な了解があることは伺われる。

★市販の国語辞典のほうが、日本工業規格や業者よりも正確なことを述べているという現状がある。まさかふざけているわけではないだろうが、そう思ってしまうほど、後者らの言っていることは甘すぎる。物理学・音声学的に見ても、不適切なことばかり。


【B】「僕の超音波察知の共感覚」

■僕の音波察知の聴覚の現状。

●いわゆる五感の聴覚で問題なく聞こえるのは20Hz〜19000Hzで、平均的な同世代男性よりは聴力がよい。(電車の中で耳に付けて聞くような携帯型音声機器を所有した経験もない。)
●僕の聴覚も等ラウドネス曲線に従う。

■次に、僕の音波察知の共感覚の現状。

●共感覚によって色覚・形状覚・触覚・嗅覚などとして知覚できる音波の帯域は、わかっている限りで以下の範囲。つまり、低周波と高周波では、「音波」とは言えず「弾性波」と名付けたほうがよいことになる。(「弾性波」に対する「音波」の関係は、「電磁波」に対する「光(可視光)」の関係に同じ。)
低周波・・・10Hz〜20Hz(聴覚だけが抜け落ちる。)
中間・・・20Hz〜20000Hz(いわゆる一般の人々の可聴音域で、僕の場合、聴覚で聞こえると共に、必ず色覚などでも見える)
高周波・・・20000Hz〜100000Hz(聴覚だけが抜け落ちる。)

(子どもなら、100000Hzあたりの弾性波にも比較的簡単に反応を見せる場合がある。それを考えても、「人間の体には、元々、あらゆる弾性波を知覚する能力が備わっていて、そのうち20Hz〜20000Hzの部分にだけ、独立した聴覚が立ち上がってくるのだが、僕の場合は、その立ち上がりが自分でも明確に確認できず、独立した聴覚というものが定義できない」という表現が実感に合っている。)

●僕の共感覚で見る(触る・嗅ぐ)音波(弾性波)の大きさ(色覚・形状覚・触覚・嗅覚などの強さ)は、等ラウドネス曲線に従わない。(200デシベルもの50000Hzの音が弱い茜色で、100デシベルにすぎない100000Hzの音が強い青緑色である場合がある、など)
●いわゆる若者にしか聞こえないモスキート音は必ず聞こえると共に、聞こえることを業者側が全く想定していないと思われる音域も色覚や触覚で知覚する。上空などに見えた、超音波の影響のある空間の様子を、立体図に描ける。
●コウモリの発する超音波などは、「聴覚では聞こえないのに色覚で見える場合がある」という状況であるため、「頭にキンキン響いて痛い」というよりは、「上空に点滅して見えて鬱陶しいな」「しかし、コウモリも頑張っているんだな」という感慨が付帯する。
●その他、前回(9/24)の記事の通り。


【結論】

超音波を共感覚で感知できる僕は、とりあえず次の二つのこと(★)に注意しなければならない。

★一般の多くの人が知覚できない超高周波数の弾性波を、自分は共感覚で感知できることは確かだが、
★そもそも、モスキート音技術などを推進する業者側が設定している超音波の定義が甘すぎるため、街中にあふれる超音波に苦しんでいる人は、僕のような共感覚者以外にも、共感覚を持たないのに聴覚が鋭い人の中にかなりいる可能性がある。

●つまりは、独立した聴覚のみで聞こえるモスキート音や超高周波音を排除してみて、それでもなお僕に色覚や嗅覚で察知できる弾性波こそが、「一般の人々には知覚できないのに僕には知覚できる弾性波の範疇である」と言えることになる。

例えば、ある業者のサイトには、19000Hzの音をおよそ130dBで鳴らしていると書いてあったが、これは、僕にとって聴覚でも共感覚(色覚)でも感じる音域であると同時に、一般の人々にとっても聴覚で聞こえる音域であるから、僕はこの不快感を、聴覚が鋭い人とは共有していると思われる。

2010年09月24日

僕が歩けない場所

最近、ますます有楽町、日比谷、二重橋前あたりの地上を歩きにくくなってきた。原因の一つが、若者にしか聞こえないとされるモスキート音や、自動ドアや駐車場のセンサーから鳴る超音波音だということは分かっている。

このあたりを僕が歩くと、目(頭・体)の中に青紫色、青緑色、赤茶色、桃色などが浮かぶのだが、このうち赤茶色が浮かぶ範囲とモスキート音や超音波音が鳴っている範囲とが大体一致している。通ると頭痛がするし、視界がおかしくなって閃輝暗点が出てしまう。

(ザ・ペニンシュラ東京、新有楽町ビル、帝国劇場、新東京ビルヂング、丸の内ブリックスクエア、このあたりの駐車場入り口付近はほぼ全滅。東京国際フォーラム、丸の内ビルディング、東京駅前あたりは大丈夫。)

つまりは、僕の耳にはほとんどのモスキート音が「聴力」で聞こえていて、それをさらに「共感覚」で色覚としても察知しているが、中には聴力で聞こえていないのに共感覚で見えている或る超音波の音域(色域)があるということだと思う。

言い換えると、僕にとっては、どういう科学技術が人体に悪影響を及ぼしているかを察知するときに、自分の聴力や視力よりも共感覚のほうが信用に足ることがあるということになる。多分、今後年を重ねて五感が衰えていくほど、共感覚の信用度は上がると思う。

ただ、青紫色、青緑色、桃色などが何を意味するのかは、まだ探究中である。青紫色は、銀座一丁目駅の上空から始まって、皇居外苑に入りかけて、桜田門の上空に抜けている奇妙な帯なので、よくわからない。
(有楽町線の一部が日比谷濠の底を突っ切っているので、僕が濠の水全体の微細振動を察知して、上空に色を見ているのかと思ったが、やはり違うようだ。)

おそらくは、いわゆる「普通の五感」を持つ成人男性にとっては、モスキート音や超音波と、電磁波(可視光線、電波、マイクロ波、X線など)や化学物質は、自己(主体)の外側に定立している別個の概念であるのだが、僕にとっては、それらが全部「色覚」や「触覚」であることがあり、またそれらは、科学用語とはほぼ無関係に、自分が人間として生まれ持った身体の感覚だけを参照して得たもので、しかも一般の成人男性よりも得ている情報量が多いと思う。

このまま行くと、僕とて聴力は人並みに衰えていくのに、共感覚はあまり衰えないのだから、結局は得ている情報量が少年期の頃(や動物)と変わらないということになると思う。一般的には、「聴力(鼓膜・骨伝導)の衰え=聞こえていない(見えていない、知覚していない)」という方程式が成り立つのだから、モスキート音や超音波の技術はどんどん加速していくと思う。

あるいは、モスキート音・超音波発生機器メーカーにそのような感覚を持った人が一人もいないと、自分たちの技術が加速しているかどうか、自分たちが作った機器からどんな音や色が出ているか、といったこと自体を、ネズミを使った実験などを介さない限り、認識できないことになる。

モスキート音・超音波発生機器のような技術は、「人間の知覚の衰退」と、「人間の心が持つ蓋然性」によって進歩している。つまり、「私たちには聞こえないが、」「子どもや若者には聞こえるだろう」、あるいは「私たちには聞こえないのだから、」「私たちの技術は他の人にも迷惑をかけず、社会に恩恵を与えるだろう」といった文脈から、こういった技術は始まる。

前者は「知覚の衰退」、後者は「蓋然性」である。蓋然性が操る対象は科学であっても、蓋然性自体は科学ではあり得ない。同じ情報を得るのに、どれだけの人工的な技術が必要かは、人によって違う。同じ種の中でこれだけ知覚のあり方が異なるのは、人類しかいないのだろう。

最近は、最寄りのスーパーマーケットの天井にも、防犯用らしき機器が設置されて、そこから出る超音波に耐えられず、ほとんど店内に入れなくなり、人に買ってきてもらうようになってしまった。ほとんどの場合、耳で聞こえるが、聞こえない帯域も僕の目(皮膚)には色らしきもので見えるので、店内に立体図を描くことができる。菓子売り場の上方から醤油売り場の下方に向かって斜面になっている、などである。そこさえ避ければ何とかなるが、かなり苦痛である。

他にも、僕には「通れない交差点」というのが数か所あって、そこは避けて通っている。

子どもやペットの動物だけが超音波に反応し、親や飼い主は平気で歩いている光景を、よく見かける。しかし、考えてみると、そのような親や飼い主は、子どもやペットの動物が反応していること自体に反応しない(気づかない)ということなのだと思う。

(有楽町あたりを歩いてみた方で、僕と同じ範囲に何かが見える方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。)