2010年12月30日

挨拶

皆様、本年は大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
タグ:年末年始
posted by 岩崎純一 at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ・挨拶事項

2010年12月21日

「生(せい)の哲学」

449px-Nietzsche1882.jpg 先日掲載した以下のページに出てくる「生の哲学」は、「なまのてつがく」ではなく、「せいのてつがく」という哲学用語です。つい使ってしまい、申し訳ないです。

http://iwasakijunichi.net/seishin/

 このページをお読み下さった共感覚者の方々から、「岩崎さんの共感覚の語り方って、まさにナマの人生哲学ですね!」というご意見があったので、一応書いてみました。でも、不思議と的を射たご意見だと思いますし、何となくおっしゃりたいことは分かりますね。何だかほほえましいことですし、褒められると嬉しいのですが・・・。

 しかし、学問としての哲学における「生の哲学」は、また違った意味を持っているのです。

 私としては、「日本人の鬱や共感覚をこの生の哲学の観点から語る人がもっといてもいいと思うし、自分もその観点から語っていきたい」という内容を書いているわけです。難解ですみません。

「生の哲学」は、西洋では、最初は哲学ではなく、文学的エッセイとして現れました。次第に、反主知主義・反実証主義・反キリスト教・反機械論・反哲学といったイデオロギーとして確立し、やがて「生の哲学」自体が一つの哲学になった感はありますが、日本・東洋では、「生の哲学」的な思想というのは、ある意味で人間の実存の自然なあり方として、生活に密着した歴史を持ってきたと言えるでしょう。

 事実、「科学もまた一つの宗教である」(科学が悪いと言っているのではない)、「仏教は宗教ではない」といった、僕が持っている考え方自体が、西洋の「生の哲学」者たちの主張するところと同じ洞察・立場に立っています。

 ソクラテス以来ヘーゲルに至るまでの従来の西洋哲学では、「生の哲学」的な考え方のほうが異端であったわけです。「生の哲学」とは、本来は「反哲学」です。僕は、この考え方によって日本の鬱や共感覚を語るべきだという思いを持っている、ということを書いているわけですね。


■「生の哲学」

●ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6

●大辞泉
19世紀後半から20世紀初めにかけて、理性主義・主知主義・実証主義の哲学や唯物論などに反対し、生きている生、体験としての生の直接的把握を目ざしてヨーロッパで展開された一連の哲学的傾向。ショーペンハウアー・ニーチェを源流とし、ディルタイ・ジンメル・ベルクソンらによって代表される。

●大辞林
実証主義や機械論などに対抗して、一九世紀中葉から起こった哲学的潮流の一。真実在を、知性では捉えられない非合理で根源的な生であるとし、生の直接的把握(解釈・直観)を意図する。ニーチェ・ショーペンハウアーに始まり、ベルクソン・ディルタイ・ジンメルなどがその代表。


■画像出典
フリードリヒ・ニーチェ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7

2010年12月12日

地名・ノスタルジー・人を慕う心

800px-Tramway_at_Okayama_city_.jpg 僕が思想的に影響を受けた歌人の塚本邦雄は、義兄に手紙や年賀状を書くときに「法悦に近い歓びを覚えた」と随筆に書いている。義兄の住所が「京都市伏見区深草極楽町」だったからだ。

(写真は、岡山市中区中納言町の小橋駅〜中納言駅の街並み)

 地名に底知れぬ感慨を覚える癖は、僕も子どもの頃から全然変わっていない。僕も塚本邦雄の言っていることに本能的に共感できる性質である。

 僕の地元岡山市が昨年四月に政令指定都市に移行したとき、市の意向で「北区」「中区」「東区」「南区」という区名が採用された。と思いきや、市民自身が市との論争に疲れ果てたのか、最後には市民アンケートでもこれらの区名がトップに選ばれた。「旭川区」などの由緒ある地名は却下された。

 今年も年賀状の季節がやってきたが、地元への封書や年賀状に住所を書く楽しみや、地元への郷愁・懐古の情というものが、だんだんと自分の中から無くなりつつある。

 例えば、岡山南高校は北区にあり、古くからの西大寺地区は東区にあるなど、もうグジャグジャになってしまったわけで、「ああ、あの人が住む、岡山市北区の東の西の南よ・・・」などと感慨にふける他県民がいるだろうか。どうにも恥ずかしい思いがする。

 2006年のノーベル文学賞受賞者のオルハン・パムクは、『イスタンブール』の中で、トルコ人の持つ憂愁・懐古・郷愁・ノスタルジーを意味する「ヒュズン」について書いている。「イスタンブール」や「ボスポラス海峡」という語には、トルコ人なりの哀愁の響きがある。少なくとも、そのようなヒュズンが、色んな事情があるにせよ、岡山市にもあって欲しかった。

 仙台市や川崎市は偉いと思う。「泉区」「青葉区」「宮城野区」「太白区」「若林区」、そして「川崎区」「幸区」「中原区」「高津区」「宮前区」「多摩区」「麻生区」。川崎市の区名は、他の政令指定都市にはない。

 仙台市や川崎市は、ノスタルジーがどういうものか、地名が人間の文化にとっていかに重要なものか、まだ分かっていると思う。岡山市では、路面電車の駅名がまだ命綱で、「清輝橋」「柳川」「城下」「小橋」「中納言」「門田屋敷」「東山」などがある。

 僕の場合、地元の地名のように、自分以外の力によって自分の中から奪い取られていく哀愁・郷愁のようなものを保つのに、使っているものの一つが、やはり和歌なのだ。

 和歌に多用される地名は「歌枕」と呼ばれる。京都「深草」は言うに及ばず、仙台市宮城野区の名となった「宮城野原」は、由緒ある歌枕だ。「青葉」「青葉山」という名は、元は京都にあり、和歌で「青葉」「青葉山」と言うと、多くが京都のそれを指すが、「青葉」が区名になっているのは横浜と仙台である。

 深草の里の月かげさびしさもすみこしままの野べの秋風(源通具)
 立ちよれば涼しかりけり水鳥の青葉の山の松の夕風(藤原光範)
 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原(西行)

 遠くの人を思うために地名があるわけではないけれども、地名が遠くの人への思いを引き出し、確認させてくれることがある。それが地名の力だと思う。

 故郷の風景やあぜ道や路面電車や地名を見て「恋しい」、「寂しい」、「懐かしい」と思うことは、いわば一種の共感覚のはずだ。地名も、ノスタルジーの重要要素であると僕は思う。それが無くなりつつあるような気がする。

 私は、「ああ、ドコソコの地にあの人が住んでいるのだな」という感慨をなるべく感じておくにはどうすればよいかを、いつも考えている。例えば、最近は皮肉なことに、相手が若い知人・友人である場合、ただ味気ない住所を書いたり印刷したりした年賀状を出すことより、心を込めて長い電子メールを相手に送信することのほうが、僕は好きになってきている。メールだと、味気ない住所を書く手間を省くことができるし、相手のことを心から思い起こしながら本文の入力に集中できるからだ。

 今後はもっと、「書きたい内容があるのに、書きたい住所がない」時代になっていくのではないだろうか。そうなれば、「形式的な年賀状」でも「軽い電子メール」でもなく、かえって「丁寧な心を込めた電子メール」こそ、日本語という言葉の美しさを味わい続けるための命綱であるという気がしてくるのだ。

 だから、僕はここ数年は、疎遠になった知人や仕事関係者への形式的な挨拶のほうを年賀状のみにして、逆に、僕の中で特別に大切な人たちには、年賀状も出すものの、あえてその後に、年末年始を避け、時間をかけ心を込めて、長い電子メールを「手紙」として送ることもある。もちろん、頭語・結語、時候の挨拶などは手紙と同様の書き方をすることがあるし、全く手紙を書かないわけではない。

 本当は、手書きで手紙を書く機会をもっと増やしたいとは常々思っている。日本人としての心遣いや礼儀作法をどうしても守りたいという思いの果てがこの結果だというのは、何とも皮肉なことだとも思っているから。

 しかし、それにしても、心を込めて読んでくれることが分かっている相手には、味気ない住所を綴る手間を通さずに、深い内容をメールで伝えることのほうが、よほど意味のある心温かい交流だという気がする今日この頃である。

■画像出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tramway_at_Okayama_city_.JPG
posted by 岩崎純一 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・人生論

2010年12月10日

新常用漢字

 今年の6月に文化審議会国語分科会から文部科学大臣に答申され、先月30日に告示された新常用漢字表。僕が以下に載せている2965字は、日本工業規格の第一水準漢字で、常用漢字・新常用漢字を含む別規格だが、いずれにせよ僕は、今回の新常用漢字も全て共感覚色で記憶している。

http://iwasakijunichi.net/ronbun_ippan/kanji1-1.pdf
http://iwasakijunichi.net/ronbun_ippan/kanji1-2.pdf

 今回新たに追加された196字は、「柿」「亀」「誰」「脇」など、すでに多くの国民が用いている字で、それほど難解な字はない。「書けるかどうかは分からないが、ほとんどが読める」という国民が圧倒的多数と思われる。

(常用漢字に追加された196字)
http://www.kanjijiten.net/joyo/newjoyo.html

 削除されたのは「勺」「錘」「銑」「脹」「匁」の5字。「勺」と「匁」は度量衡の単位。「錘」は、「紡錘」くらいしか使わなくなった。「銑」は、もはや日本史マニア以外は知らなくても困らないような漢字(陸軍大将・第33代 内閣総理大臣 林銑十郎)。「膨脹」も、今は「膨張」と書くのが普通。一方、「逓信(ていしん)」の「逓」は残ることになった。

 たった一つ、読みが変更された漢字があって、それは「側」。「かわ」が「がわ」になった。「かわ」と読むのは、「右っ側」「上っ側」など促音「っ」を伴うときぐらいだ。例えば、「面」は、単独では「づら」よりも「つら」と読むことが多いのに、「側」は単独でも「がわ」と読むようになった。明治・大正時代は「かわ」と読んでいた。今そのように読む人は、普段観察する限りでも、ほぼ全て90歳以上の人である。

 2008年に亡くなった国語学者の大野晋氏は、「日本語の起源はタミル語である!」と奇説を唱えながらも、廃れゆく「日本語の良さ」については鋭い洞察を持ち、「なぜ漢字が工業規格なんだ。文化規格にすべきだ」と言った。今後も、そのような優れた国語学者が出てこないものだろうか。

 昔は、前近代的で突拍子もない新説・奇説を持った国語学者は多かったが、日本語を愛する心は今よりもずっと大きかった。

(文化庁 「常用漢字表の内閣告示等について」)
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/jyoyokanji_kokuji.html

★訂正★
「漢字は工業規格ではなく、文化規格であるべきだ」と言ったのは、大野晋氏ではなく、情報工学者の坂村健氏でした。失礼しました。もしかすると、大野氏も言ったかもしれません。いずれにせよ、氏たちの論は正論だと思います。
posted by 岩崎純一 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語論

2010年12月06日

日本人の時空観について

 今回は、「日本人の時空観」がどのようなものであるか、特に、西洋文明や中華文明と比べて近代化以前の日本文化がいかなる時空観の特徴を示していたかについて、僕がいつも今の日本の街を歩いていて考えていることを書いてみたい。

 今日は、これを建築の視点で考えてみたい。ここでは、あえて「西洋白人・中国人(漢民族)」(一神教的・中華思想的・ユーラシア大陸的な時空観)と「日本人・中国国内の先住民」(アニミズム的・多神教的な時空観)という構図で見てみたい。

800px-Haichi1.jpg 突然だが、右図は江戸城の区画、下記のリンクはその間取りのデータベースである。

 一見して気づくのは、近代化以前の日本人の間の取り方(間取り)は、自然風景をそのまま利用して、極めて感覚的・即物的に区画や畳をつぎ足していくだけで、上空(超越的視点)から全体を俯瞰・鳥瞰して見るような抽象性を持たないことである。

 あるいは、日本人には、数学的に厳密な「対称性(シンメトリー)」を「美」と見るような視点がほとんどなかったと思われる。ここで言う「対称性」とは、むろん「変換(transformation)に対して不変であるあらゆる性質」のことであって、決して美術技法的・造形的な意味とは限らない。つまりは、「思想」の問題でもある。

■画像出典
http://metro.tokyo.opac.jp/tml/tpic/resprint_d/2010/12/6/9094_002_001.html

 例えば、「長方形の建物を建てたい」などと一瞬は思ったとしても、西側だけに山や海があれば、山や海を崩したり埋め立てたりすることを簡単には行わず、山や海の形状に従った都市計画を採用し、「長方形」といった数学的理念のほうを簡単にあきらめてしまう。平城京や福原京の方角や構造のいびつさも、これを物語っている。

 しかも、部屋と部屋の区切り方を見ても、「パブリック(公)」な性質と「プライベート(私)」な性質との厳格な区別がなく、御簾(みす)を垂らしたり屏風を立てたり襖(ふすま)を設けたりするだけで、一撃で穴が開くような間仕切りしか設置しておらず、例えば、恋愛模様にしても、隣部屋の異性にちょっかいを出すかどうかの判断は、もっぱら本人たちの主観的媚態(九鬼周造の言うところの「可能的関係」)に従っている。

 いわゆる「床の間」も、壁の中央に配置されず、必ず押し入れなどの世俗的・日常的な空間とセットで左右非対称に配置される。

 このような時空観は、建築物のみならず庭園にも表れており、例えば、庭園内のいかなる場所にも特異点を持たず、園内の歩行の際にもまるで霞がかかったかのように前が見えない造りとなっている桂離宮にも、その時空観が表れている。

 その意味では、かなり幾何学的に整備され、朱雀大路(すざくおおじ)を中央に通した平安京などは、律令制の輸入と共に、明らかに渡来した漢民族や朝鮮民族の手が入ったことを示すもので、縄文の竪穴住居や、室町の書院造りや、江戸の武家屋敷や、明治〜昭和の日本家屋に比べれば「日本的ではない」かもしれない。

 それでも、日本人的な時空間の取り方が失われているわけではなく、唐の長安城の超越理念的・中華思想的な計画性に比べれば、やはり日本の味わいがする。

Map_of_Versailles_in_1789_by_William_R_Shepherd_(died_1934).jpg 一方で、右図はヴェルサイユ宮殿とその敷地の俯瞰図である(以下のリンク先より引用)。極めて数学的に計画された様子が見て取れる。西洋建築の根底にあるのは、「我々の世界には、全体を俯瞰する超越的特異点が実在する」という考え方であって、それは結局のところ、キリスト教の神の実在性(への疑いなき信心)によって保証されている。

 漢民族や朝鮮民族にも儒学の一部に一神教的な思想・宗派があるが、それでも必ず陽明学や道教やアニミズムなどの自然信仰を対置して自己確認を取るのであって、西洋キリスト教文明のように圧倒的な超越理念から世界を俯瞰する時空観は持たない。

■画像出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Map_of_Versailles_in_1789_by_William_R_Shepherd_(died_1934).jpg

 日本の建築は、一見する限りでは「半ば対称的」なものもあるにせよ、その筆頭と思われる平等院鳳凰堂でさえ、細部を見ると「線対称になっていない」点は、人体に似ている。人体は、外見上は「半ば対称的」ではあるが、内臓の配置は「非線対称」である。

 これだけ解剖技術が発達し、人体の非対称性を目撃しながら、「人体の実際」と「その人体の暮らす建築の実際」とがピタリと合っていないのが現代のほうであることは間違いないようである。和洋折衷ながら伝統性を保った建造物である東京駅舎の周辺に立ち並ぶ、数学的な建造物としてのオフィスビルは、現代日本人の時空観の変化を象徴しているのかもしれない。

 西洋建築にとっては、人間が生きるこの時空間内の点の座標(x,y,z)は、常に一神教的な超越理念(原点)からの距離として測られるものであって、その象徴がヴェルサイユ宮殿における国王の目線であるのだろう。何も建築のみならず、西洋絵画の一点透視図法などの遠近法も、西洋人にとってその上達は、ほとんど神への信心深さと並行して捉えられたのではなかろうか。

 僕は作曲もやっているが、西洋の音楽理論とは、常に神の目を気にするものであって、「ド以外の音」に対する「ドの音」の優越性というものが和声学の基本思想となっており、一神教的超越理念への絶対的肯定を、この旋律の終止としての「ド」、あるいは和音の「トニック」終止としての「ドミソ」に象徴させなければならない。

 琴や三味線の曲は、そういった一神教的な絶対時空観を壊すことでしか書けない体系を有している。西洋音楽理論をきちんとやった上で、それを日本的実存において打破し、日本的時空観を描くということを、僕は自分の作曲における目標にしているくらいである。

 もっとも、日常の僕の実際の身体が「感覚的(共感覚的)・即物的な時空観」を有している自覚があるからと言っても、この文章を書いている僕の視点は、「自己と世界の全体を俯瞰する、観念的・抽象的でメタな視点」である。

 すなわち、現代人であるということ、また現代人が「語る」ということは、どの宗教圏に属していようとも、多かれ少なかれ、自己と世界に対して俯瞰的である。一方で、例えばアイヌ民族などの少数民族は、「感覚的な自己の身体」を俯瞰的に「語る」ということはしなかっただろう。

 現代において何かを「語る」ためには、一度は自己意識がメタ視点に登って世界を見下ろすことが必要であり、それは禅的な「世界との一心同体化」とは対極にあると言える。

 ただし、その「ヴェルサイユ宮殿的」なメタな視点を持ちながらも、同時に「日本家屋的」な視点を自分の身体・自己から失わないように生きることが、日本人の(少なくとも私が考える私の)今後の課題だと思っている。

 今でも日本人の潜在的な身体感覚は、「ヴェルサイユ宮殿的」ではなく「日本家屋的」であると信じてみたいと思う。
posted by 岩崎純一 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本論

2010年12月05日

言語はなぜ家族を捨てるのか

minzoku.jpg 特に具体的な活動が決まっているわけではないけれども、僕の考案言語スラフォーリア(現在の岩崎式日本語)について仰々しく「スラフォーリア研究会(現在の岩崎式日本語研究会)」を設けた。

「自分(日本人)はなぜ、家族や友人と会話するにも、いったんは家族や友人を捨てて迂回し、日本民族の日本語という言語へと大回りしなければならないのか」

 この悩みは、僕が中学二年生の頃から持っていた悩みのうちの一つだった。

 世の中には、いわゆる「家族ルール」というものがある。「ウチでは皆、トイレの扉を開けっぱなしで用を足す」、「我が家では車には土足で乗らない」、「家族それぞれがマイ風呂桶を持っている」など、色々と個性的なものを耳にする。

 しかし、もし本当に「家族(family)」が社会と文化の最小単位であるなら、「日本語」ではなく「家族語」が存在してもよかったはずである。

 あるA家の中では、「扉を開けっぱなしで用を足す」を意味する動詞「ぱなしぽさらす」があってもよいはずだし、B家には「車には土足で乗らない」を意味する否定動詞「どさらばさらない」があってもよいはずである。あるいは、「ウチでは動詞の活用をしない」などという独自の文法が成立しそうなものである。

 だが、そうはならない。わざわざ家族の「外部」の言語「日本語」を用いて「扉を開けっぱなしで〜」などとややこしく言う。

 我々は、身近な家族と話すにも、一旦は「家族」なる概念を横に置いて、むしろ「日本民族」なる概念を確定的に実在するものと仮定し、その民族が用いる「日本語」へと大回りして再び家族を認識している。なぜか例外なく、そうである。

「家族と心が通じる」ということの真相は「家族の母語が認識できる」ということである。もし本当に「心が完全に通じ合えている」と断言できる理想的な家族がいるなら、そこに「日本語」は必要ないことになる。

 つまり、我々日本人が「家族」と言うとき、それは結局、「日本語で互いに認識し合う家族像の幻影」という意味のことであると言える。

「日本」「日本人」「日本民族」「日本文化」といった概念と、純粋な「家族」という概念とは、本来は相容れない。

 もちろん、ここで言う「家族」とは英語的「family」、「民族」とは英語的「race」、「言語」とは英語的「language」のことだ。戦前・戦中日本のように天皇を「現人神」と見なしたり、太古日本のようにムラの長を「父」と見なしたりし、日本民族それ自体が「共同体としての家族」であるという見方をすれば、日本ほど「言語」と「家族」とが高精度でほぼ一致している国は無い。

 或る言語が共有される物理的・精神的領域というものは、必ず、一つの例外もなく、「家族」や「恋人」や「友人」といった最小のゲマインシャフト(※注1)を捨て、「民族(race)」という中途半端な共同体を選択して、なおかつそこにとどまろうとする。逆に、どんなに一つの言語(英語)が世界に普及しようが、全人類が地球規模でそれを母語とするところまではいかないのである。「言語」は必ず、自然の摂理として、「民族」を選択するのである。

 もちろん、日本においては、まだ江戸時代にもアイヌ・蝦夷(エミシ)・隼人(ハヤト)・熊襲(クマソ)などの少数民族が本州の至るところにいて、それぞれに言語があった。だから、今僕が言っている「日本語」とは、「天皇」の支配の及ぶ領域の母語としての「日本語」である。もし天皇の存在がなかったなら、日本語の規模と分布は全く違っていたわけである。

 つまり、僕の冒頭の問いは、「なぜ僕は、家族や友人としゃべるにも、一度は天皇と同じ言語と世界認識を志向するのか」という問いと同じであることになる。「なぜ自分は、自分の父親と話すにも、いったんは天皇を中心とする日本語の認識世界へと迂回してから父親を認識するのか」という問いのことである。

 日本人、特に男性ならば、この事実(自分の父親と天皇とが同じ言葉を母語として生きる事実)と人生で一度は真剣に向き合うべきだと思う。このことを喜ぶか苦しむかは別にして。そして、やはり日本人は、英語よりも日本語の良さに立ち返ってくるのがよいとも思う。

 この事実を言語学的に破棄して、自分の母語である日本語を否定し、自己意識の外部に無言語的に実在するものとしての「父親」とか「大自然」とか「好きな女性」を完全に認識するということは、日本人には不可能なのだと言える。あるいは、それができないことが日本人の特質であるとも言えると思う。

「日本国」と「日本民族の居住領域」とがだいたい一致しているがために、我々日本人自身には分かりにくいが、「言語」が「国家」「国境」ではなく「民族」なる境界をおのずから選択していることは、イスラエル人やクルド人や朝鮮人を見れば簡単に分かることだ。国を持たずとも、民族がいるところには生き生きとした言語があるのだ。

 ところが、その言語を操る我々人間にしてみれば、「家族」や「恋人」や「友人」といった小規模の共同体のほうが定義しやすく、かつ安心感の基本単位なのであって、「民族」なる概念のほうが混血その他の理由によって不安定なもののはずである。

 しかし、そういった「家族」についての定義や安心感のほうが、どうやら極めて近代的な思考様式であって、人間の脳は、本来は「民族」なる概念のほうに安住するようにできているらしい。ということは、「民族」全体をいわばゲマインシャフト的な「家族」と考えていた戦前の日本は、あえて軍国主義をやったというよりは、その思考様式が極めて生物学的・生態学的に見て自然であったがために戦争を避けられなかったとも考えられる。

 しかし、特に現代社会では、「人間」と「言語」とは、分離した別個の主体概念であり、「言語」それ自体が「人間」の意志と同等の仮想意志を持ってふるまっている。だが、この「人間」と「言語」の分離独立に気づいている日本人は、本当に少ないと思う。

 僕の勝手な意見であるが、「日本人」とは「日本語を第一言語・母語・人生の基盤語として話す人間」のことである。逆に言えば、「自国の小学生に強圧的に英語を学ばせることを良しとするような日本人」は「日本人ではない」と僕は信ずる。

 そして今や、たとえ「民族」よりは近代的な概念であるけれども安住できる場所の筆頭であるはずの「家族」という概念さえ、虐待問題などで崩れかかっている。


※注1:ゲマインシャフト(共同体)・・・

 血縁・地縁・恋愛・友情などによって自然に結び付いた伝統的共同体。家族・親族・恋人・友人・町内会など。多くの場合、或る一つの言語を母語として共有し、なおかつその言語の行われる範囲よりも小規模である。利害関係をもとに人為的に形成された会社(営利社団法人)・地方自治体・近代国家・超国家型同盟(国連・NATOなど)といったゲゼルシャフト(利益社会)に対する概念。ドイツの社会学者テンニースらが提唱。

 共和制・大統領制国家は間違いなくゲゼルシャフトであるが、立憲君主制国家の一部はゲマインシャフトである。日本は、事実上の元首として天皇を戴いており、特に戦前では巨大なゲマインシャフトを形成していたとも言える。日本語は、憲法にも国語・公用語として記載されていないからこそ、現在でもゲマインシャフト的な言語と言える。
posted by 岩崎純一 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語論

2010年12月01日

鬱病が鬱病を疎外する〜「本当の鬱病は美しいもの」〜

utsu1.jpg ついに「鬱」という漢字が常用漢字に組み入れられた。元々「うつ病」なる書き方を避けて「鬱病」と書いてきた僕にとっては、何の変化もないけれども、やっと僕の書き方が「合法化」されたのは嬉しい限りだ。

「鬱」とは、「木々や葉っぱが生い茂るさま」を言う。僕の個人的な意見では、「心が生い茂っていて、悩むときにも一生懸命にならざるを得ない、人間的に良く出来た美しい人間」のことを「鬱」と言うのだと思っている。

「ピンからキリまで」という言葉がある。「脳卒中」や「癌」にもピンからキリまであるのだから、「鬱病」にその論理が当てはまらない理由もきっとないと思う。

 日本で「鬱」が話題になり始めたとき、むしろ「鬱」という漢字の原義は正しくとらえられていたと思う。対象となった「鬱」の状態は、高度競争社会からはじき出された「本物の鬱」だった。

 けれども、それ以来、「鬱病」にかかっている「と言われる」日本人は急増して、今では「国民の3分の1が鬱をかかえている」と言う学者も多くいる。むしろ、その人間観を推進することが精神病理学の使命なのかもしれない。そして僕は、僭越ながら、その数字を「ウソ」だと思ってしまっている人間の一人である。そんなに多いはずがないというのが実感である。

 以下は、差し当たり僕個人の見解である。中には僕に近い考え方の人もいると思う。僕と同じ考え方の精神病理学者をまだあまり見たことはないが、必ず増えてくるに違いないとも思っている。

 人間は結局、「自分が正しい」と思って主観で生きるしかない生き物であるのか、僕も僭越ながら、自分の「精神病理観」は正しい、いつかこのような考え方が主流になる日が来てほしい、と身勝手にも願っているから、以下のようなことをずっと語ってきている。

 日本における精神病理研究を見ていて僕が思うのが、日本人が罹患している最大の病理は「何でもかんでもシンドローム」「症候群症候群」「病名つけたがり病」「精神病理インフレーション」ではないかということだ。

 どうやら、実在する病理に「症候群」という名前が付くのではないようである。学者が「症候群」とポロッと口にすれば、それが「症候群」になる。それが、「脳卒中」でも「癌」でもない、日本最大の「病理」だと僕は思う。

 鬱病と名指しされる絶対人口が増えるということは、その中には「重度の」鬱病者もいれば「軽度の」鬱病者もいるということになる。もちろん、「鬱」を自覚する人が「鬱病」と診断されるには、病院にいかなければならないし、そもそも病院に行った人こそ「鬱病者」に他ならない。

 第三者に無理やり病院に連れて行かれてセロトニン薬付けにされた人は、確かに別だと思う。そういう人は、僕からすると「真の苦脳を知る真の鬱病者」だと思う。

 けれども、だいたいのところ、中程度・軽度の鬱者こそ、自分で外出は可能なのだから、重度の鬱者よりも先に外出して病院に行き、「鬱病」の名と社会支援を手に入れることになってしまう。その「鬱病者」よりも外出の難しい重度の「鬱者」は「鬱病者」とは言われない。

 よほど気をつけておかないと、これまでの「本物の重度の鬱病」の概念が過度に希釈され、「鬱病者」による「鬱者」の支配という逆転した構図がどこかの時点で生じることになる。そして、そのような事態が起きているのを、実際の精神病理学界を見ていて感じる。

 そして、「鬱病」研究者の目的も、「鬱病者」の発見ではなく、「鬱病者」の創造・捻出に移り変わっていくことになる。「健常者に疎外された鬱病者をいかに救い出すか」ではなく、「健常者をいかに切り崩して鬱病のレッテルを貼っていくか」。これが今の日本の多くの「鬱病」研究者や「鬱病」関連ビジネスの仕事になってきていると感じる。

 ヘーゲル哲学に言わせれば、鬱病者の異常な肥大化が本来的「鬱」を自己疎外して、真の「鬱」の本質を外へ放り出し、「鬱」は「鬱」にとって遠い他者となる。マルクス経済学に言わせれば、真の「鬱」者が一生懸命に生きれば生きるほど、働けば働くほど、それを眺め下ろす「精神病理学者」なる「資本家」が一度はそれを引っ張り上げて「鬱病」と名付け、それを健常者にまで押し広げる形で最初の真の「鬱」者を外へ放り出してしまう。(僕は個人的にはヘーゲル・マルクス主義者ではないが。)

 しかし、「さすがに今の風潮はマズイから、どこかで止めなきゃ」と思っている人も多いはずである。この「止めなきゃ」というニュアンスが、巷に出ている「鬱病」関連の本から、そろそろ読み取れ始めたのが興味深い。

 僕は今まで色々な「鬱」に出会ってきたつもりである。もちろん、「鬱病」と名の付いた人の中にも、真の鬱者はいる。けれども、「私は鬱病と診断された者です」と名乗り出た人を全て足して人数で割った「鬱度」と、「私は鬱です」と言った人を全て足して人数で割った「鬱度」とを、じっくり僕なりに味わってみたなら、やはり僕には、「私は鬱です」とだけ言った人の症状のほうが深遠であると感じられる場合が多かったことは否定できない。

 なぜかは言葉ではうまく言えないが、やはり真の鬱者とは、「鬱病だと名づけすぎ病」という社会病に疑問を呈する人間のことではないだろうか。これからの日本に必要なことは、「鬱病」という診断を意識的に減らしていき、それでもどうしても「病的」であらざるを得ない人に「鬱病」という診断を与えることではないのだろうか。

 もっと言うなら、「鬱病」という病名がなくとも「鬱者」の心を分かるような社会でなければならない、というのが僕の意見であるが。