2011年08月26日

現代日本社会特有のパラノイア性と鬱病について

800px-Ikebukuro_Station.jpg 今回は、あまり私らしくない記事を書いてみる。意見が私らしくないのではなく、扱う話題が私のサイトにしては珍しい、という程度の意味だけれども。

 東日本大震災が起きて以降、私はこのブログで「震災と一部の日本人の心(特に鬱)」との関係について色々と述べてきた。「震災が起き、絶望的・廃墟的な光景が東日本に現出され、生活格差がリセットされたことが、いわゆる鬱病患者や鬱状態の人の症状を軽減させた」と見て、「日本的な鬱」の存在を好意的・肯定的にとらえるのが、私の思いであると言える。

 普段は心を消耗して生きてきた代わりに、いざと言う時にそれだけ「実利的な」意味で失うものが少なかった人間は、心が楽になれたのだと思う。逆に、津波にさらわれた富が余りに大きかった人間の絶望ほど、確かに計り知れないのだろう。

 その一方で、これとは異なる立場からの論調もなるべく見るようにしてきた。すなわち、震災などの災害が起こってやっと外出できる気持ちになれる鬱病者やニートやひきこもりを、多かれ少なかれ批判する立場の人たちの意見のことである。特に、自身のブログを持つ地方自治体の長などが、実際にこの問題について持論を展開していたのが興味深かった。

 中には、「放射線問題で騒いでいるのは、今までニートなどと言われていた社会不適応者である」との持論をブログで展開した自治体の長が複数人いて、ネット上では一時期問題となったが、これは、一連のブログ記事が、ニート非難というよりは、放射線被害を不安視する市民への暴言ともとれる文章展開であったことから、批判を浴びたようである。

 また、何人かの精神科医も、「原発事故に興味を持っている人には、鬱病者やニートやひきこもりが多い」という見解を述べており、その主張にはやはり賛否両論あるようである。

 ここで私が言ってみたいのは、「そのような自治体の長や精神科医たちの見解への私の不満」というよりも、「少なくとも現代日本社会の姿と日本人の鬱の増加との間に一定の関係性があることは、案外、社会の上層の人たちも分かっていることへの私の興味」のほうである。両者に相関関係があることに薄々気づいている日本人は、実はかなりいて、そこから先の「物事の見方」が皆で互いに違う、と言った方がよいのだと感じた。

 すなわち、私ならば、「大震災が起きて鬱症状が軽減された鬱病者の気持ちが好意的に理解できる」という心理に傾斜するのであるし、そうでない人々ならば、「普段の社会生活で鬱病を発症しておきながら、震災が起こったときにだけ外に出てくる一部の人たちは、やはり社会不適応者である」という心理に傾斜する、と言えるのだと思う。

 さて、何も専門の精神病理学者でなくとも、こうして今の自治体の長も、あるいは会社役員・会社員も、一般の主婦・母親なども、テレビやネットで「社会不適応」という言葉を当たり前のように用いている現状があるわけだけれども、そもそも「社会(社会人)」という言葉をもう少し丁寧に見ておきたいと思う。

 私の場合、「社会人」の中に、公務員がいたり会社員がいたり学生がいたり主婦がいたり鬱病の無職者がいたり子供がいたりするだけだ、などと、極端に無作為的にとらえるわけだが、この私の「社会」解釈は、江戸時代までの「世間(せけん)」や「浮世(うきよ)」の用語概念に近いと言える。

 江戸時代には、人口の3割から4割が今で言う無職・ニートであった都市が多数あったが、これは今の「職業」が「収益・対価・報酬としての金銭を得る目的」を内包しているからで、江戸時代一般には、直接に金銭を得ないで放浪の旅や深い思索生活をすることも「なりはひ(生業)」や「天職」たり得た。また、「なりはひ」とは、元々は「農作業」のみを指した。

 元々「世間」とは、「人間・動植物・山河をも含めた全ての存在」を意味する仏教用語であり、これがヤマトコトバであった「浮世」の対応語と見なされたが、明治時代に入って、日本の上層の知識人たちが「society」を翻訳しようと試みたとき、この単語が意味する概念が日本人及び日本に存在しないことに頭を抱えて、これを「社会」と名付けた。

 初代文部大臣の森有礼や幕臣の福地源一郎らがその「難解な知的作業」の担い手であり、自身らの著書に初めて「社会」の語を登場させるに至った。

 ただし、この時点での「社会」は、「人間とそれ以外の生物との差異」のみを重視したにすぎず、「金銭の授受や社会契約や文法言語の概念を脳で認識できる生物としての人間が独自に有する、他の動植物に対するテリトリー」という程度の意味でしか読み取ることができない。

(それまでにも「社会」という漢語はあったが、この「社会」とは、今で言う「結社・教団・教派」に近く、「社」よりも「会」の音を高く発音する単語で、今の「社会」とは無関係の語であることに注意。)

 森有礼や福地源一郎とて、今の我々が用いている「社会(社会人)」の概念を自我において認識できたかどうかは疑わしく、また文献からもそのことが確認できない。すなわち、「ある一定以上の陰鬱な気分を持つ少数人間の集団を鬱病者や社会不適応者と呼び、それ以外のいわゆる社会適応者・健常者の集まり」を「社会(社会人)」と呼ぶ今の我々の常識的な感覚は、文明開化の当時とて一般日本人には理解不能であった可能性があるようだ。

 では、そのような昨今の「社会(社会人)」の定義とはどのようなものかを、もっと丁寧に考えてみよう。

 私のサイトは、主に社会的少数者の感性や心を扱っているから、しばしば鬱病や社交不安障害や適応障害や回避性人格障害や対人恐怖症の方々がご訪問下さり、今やこれらの話題が私の勉強会の主軸を成しているが、その中に「会社員・サラリーマン・ホワイトカラーにだけは絶対になり(戻り)たくない」と主張する鬱やひきこもりの方々がいる。

 最初から社会を敵視して「働くことが馬鹿らしい」と言っている人の場合は、私のサイトとは趣旨がずれるのだろうし、そのような方は知人にはあまりいらっしゃらないが、自分の頭の中で論理的・有機的な社会批判を持った上で「働くことがよいことだとは思えない」という「就業への疑念」に達していると思われる人の場合は、私は大いに見る価値や意義があると思って、色々とお話を伺うなどしている。

 私は一応、法人運営にそれなりに携わっていることもあって、自分の造語として「会社妄想社会」(カンパニー・パラノイア・ソサイエティ)という語を考え、今の日本社会と上記の鬱病などとの関係を丁寧に考える道を模索してみている。この造語は、日本語ではいかにも物騒に「偏執病」や「妄想症」と訳される精神疾患である「パラノイア」を借用して作ってみたものなので、あまり独自性があるとは言えないけれども。

 私の言う「会社妄想社会」というのは、簡単に言うと、「法人の一形態に会社があるのではなく、法人という概念がすでに会社的である社会」、あるいは「会社的性格の個人のことを社会人(成人)と呼ぶ社会」のことを指す。

 誰のせいだというわけでもなく、かつ自分自身でも気づいていない状態で、すでに少なからぬ我々日本国民の脳にこの観念があると仮定すると、「社会不適応者」という言葉が、精神病理の非専門家であるはずの自治体の長や会社役員やテレビ関係者や一般主婦の口をついて出る現状の不思議さが説明できそうだからだ。

 言い換えると、会社が会社的に経営されるのは当たり前だが、独立行政法人も学校法人も公益法人も社会福祉法人も、さらには個人の心・命・脳までもが、会社的に運営・運用されなければ生きていけない社会のことを、そう呼んでみた。

 また、精神病理としての「偏執病」「妄想症」診断には、「妄想の内容を正しいと信じていながらも、それ以外の日常行動・人間関係には異常が見られないこと」という主旨の条件を満たす必要があり、いわゆる今の我々日本人自身がこの条件に合うと見なせば、そのような社会を一つの「会社偏執社会」であると見る見方があっておかしくはないと判断してみたわけである。

 ここで、「我々人間(自然人)」と「法人」の定義について見ておきたい。会社も法人の一種である。理論上は、法人形態は数十・数百と設けることができ、そのうちの一種(旧商法下における営利社団法人性を保持しつつゴーイングコンサーンを有する企業)が現在の「会社」である。

 法人とは、「法的に人格を付与された、人間や財産の結合体」のことである。恋愛や結婚のように、自然人にだけできて法人にできないこともある。それ以外の権利能力(営利追求など)は法人にも同様に認められる。自然人個人としての会社員の営利追求は、「給料を上げてほしい」という欲求として現れるが、これは結局は、会社の経営状態に左右される。

 商法単独の時代には、「会社」は、「営利性」「社団性」「法人性」の三つの性格がかなり明白で、条文にこれが明記されていた。すなわち、「会社」とは「営利社団法人」とほぼ同義で、論理演算における否定論理和(つまり「反対言葉」)は「非営利財団非法人」である。

 ただし、実際にはこのような形態はとられない。「非営利財団非法人」には、いわば「不特定多数の人のために自分の財布を捧げる仙人の財産」くらいしかないことになる。商法上の「会社」とは、その「仙人的人格」の否定論理和であると思えばよいわけである。

 つまり、「特定の人(株主など)のために利益を分配することを目的として営利活動をおこなう、法人格を有する人間の集団」として「あえて」作られたのが「会社」であり、このような集団は、人間(ここでは日本人)の脳が認識しうる「人間や財産の集合体」のうちの一形態にすぎなかった。

 それが、現行の会社法を見てみると、「会社の定義」自体が自己言及的になっている。会社法第一編第一章第二条第一項において、「会社」とは、「株式会社、合名会社、合資会社又は合同会社をいう」と定義されているが、「会社の説明に会社という用語を使う」論理、つまり、「会社とは我輩のことである」という言い方であり、この自己言及は、現憲法にも見られる。

 現憲法第九十八条には、「この憲法は国の最高法規」である、すなわち「我輩は最高法規である」と「自分で」書いてある。いずれにせよ、この憲法のもとで施行された会社法のもとで、会社は存在している。

 帝国憲法の時代なら、北一輝のように、天皇大権によって憲法を停止するという奇策も考え得たわけであるが、その意味で現憲法は、本当はそれよりももっと排他的な(他の法令に自身の最高法規性を否定させない)論理構造を持っていると言える。

 私の仮定する「会社妄想」が最も端的に表れている例がある。いわゆる結婚斡旋サイトなどの「職業選択欄」を見ると、「会社員、公務員、自営、無職・・・」などとなっている。会社員が、法律上の社員(会社法人の構成員)ではなく、従業員であることを考えると、「会社員」の分類を設けるなら、「社団法人職員」「財団法人職員」「学校法人職員」などを同等に列挙するのが理にかなった方法だ。

 昨今の結婚斡旋サイトの職業分類は、もしかしたら、自分の(または娘や息子の)結婚相手が「会社員であること」についての安心感という、我々の一種の「パラノイア」から来ているかもしれない。いまだに「会社員」のイメージがバブル景気時代のまま残存していることを物語っているように感じられるからである。

 昔は、「会社員」という言い方に加えて、「サラリーマン」や「ホワイトカラー」という言い方も一般的だったが、そこには「明るく社交的で、仕事をしたあとは仲間とアルコール類を飲み、一人の妻と二人の子どもを持つ、将来性のある男性」という響きが含まれるように思う。

 ちなみに、海外の結婚斡旋サイトなどでは、「会社員」も、「法人構成員(社員)」ではなく、「従業員」としていわゆる「団体職員」にくくられている例がある。本当は日本においても、この方法が最も理にかなった職業分類だと言える。

 また、ここで言う「会社」とは、ほぼ株式会社を指していると言ってよいと思う。例えば、これまでは、ほぼ全てが公益法人であった社団(財団)法人は、全てが近年のうちに公益社団(財団)法人と一般社団(財団)法人とに分離されるが、実質は、一般法人はほとんど株式会社と同じく営利的発想で運営しなければ維持できないようになっていく。

 この改革は、社団法人における社員(財団法人における評議員)を株式会社における株主、社団(財団)法人における理事を取締役と見なして、さらには予算・決算の処理方式も株式会社方式に変更し、ほとんど株式会社的な経営を公益法人に要求するものであると言える。

 また、有限会社も、名称だけは一部残るものの、実質的には株式会社の下位分類扱いとなっていく。さらには、複数の有名大学のように、大学がホテルなどを経営することも普通になっていくであろう。

 今や、「法人」の一部に「会社」があるのではなく、「法人」とは必ず「会社的」である。これが、僭越ながら私が指摘してみたい「会社妄想社会」の姿と言える。実際に、株式会社に転向した公益法人もあるが、転向せずとも、独立行政法人、学校法人、公益法人、社会福祉法人などの各法人は、「会社的」発想をスムーズに遂行できる人材を役員に置いた法人が、生き残る時代になっていくのであろう。

 先の東京都知事選でも、外食産業や介護事業を展開している企業の創業者である候補者が、「都政にも会社的経営感覚が必要である」と主張して立候補したのは記憶に新しい。

「会社の経営」に「公務的な」発想を入れるのではなく、「公務」に「会社の経営的な」発想を入れるという方向性である。もし都政を会社風に運営しなかったとして、本当に将来的に都政が弱体化したら困るものだから、もはや賛成か反対かという問題でもないかもしれない。

 ところが、「会社的経営感覚」とは何ですか、という問いには、おそらく誰も答えられない。法律自体が自己言及しているから、法律も答えられない。「営利を上手に追求する経営感覚」というのは、実は答えになっていない。

「日本の国や自治体が公務員や会社役員に、公務員や会社役員が従業員に求める何らかの性格」、「両親が将来を見据えて子どもに勉強しなさいと叱るときに認識している一定の実利的パラノイア」、「鬱病を患っていない、会社にとって有益な人間として認められる人間」・・・それを「会社的」と言うのである、とする以外に定義のすべがないわけだ。

 これは法人と個人だけでなく、個人どうしの関係でも言えることで、特に子どもや鬱状態の学生を見ていて、気の毒になることがある。ある学生たちは、次のように私にメールしてきた。

 会社員になるのに「会社員の座の争奪戦(就職活動)に勝利すること」が必要であるのは序の口で、友人を作るにも「友人市場で勝利すること」、恋人を作るにも「恋人市場で勝利すること」、合コンで勝利するにも「合コン市場で勝利すること」、親に好かれるのにも「兄弟に勝利すること」、親が息子のクラスメイトの親たちに勝利するにも「息子を学校や塾で勝利する子に育てること」が必要になってくる、と。

 確かに、市場というのは、結局は「需給関係」を基軸に成り立っているのだから、「親の愛が欲しい」と需要を訴える子どもが、「親の愛」という供給を得ようと思ったら、「対価」すなわち「高得点のテスト」を親に捧げないといけない、という具合である。(しかし、本当の親子関係はそういうものではない、と私は思いたいのであるが。)

 いずれにしても、このような損得判定能力、すなわち「自分に値段を付ける能力」をなるべく幼少の早期から子どもに身に付けさせることは、確かに、十数年後にその子どもが会社の面接試験において円滑な自己主張を披露するための近道であるかもしれない。あるいは、国も自治体も会社も親も、そのような人間を良き「社会人」と認識しているのだろうとは思う。

 すなわち、誰にも答えられない「会社的なる何か」が、いつのまにか「法人」だけでなく「自然人」にも適用されているわけだ。

 結局のところ、このような現日本社会で取り残されていくのは、どんなに努力しても営利的・実利的思考ができない性格の人間、特に「自分に値段を付ける」とか「自分を売り込む」といった作業が不得手な性格の人間であると私は思う。

 それが男性である場合には特に、一気に「自分は家族を養う能力がなく、価値のない人間である」という自己否定に結びついている気がする。これが、「日本においては、男性の自殺者数は女性の3倍いる」という現実として現れているのではなかろうか。ところが、ここで言う「価値」とは、「いわゆる鬱病にかかっていない社会人側が作った価値」のことであって、「人間の命の価値」ではない、と私は思うわけだけれども。

 ところで、私が某大学で「共感覚論」の講演や授業をしたとき、前もって司会の教授から、「途中で就職活動で抜ける学生がいますが、気にしないで進めて下さい」と言われ、大学の存在意義について大いに考えさせられた。最後まで残った学生に、「大学の講義と、就職活動と、どちらが大切ですか」と聞いたら、皆、申し訳なさそうに「就職活動が大切です」と苦笑して答えたのが印象に残った。

「社会人」「成人」という単語(もっと言えば「人間」という単語)のうちにすでに「会社的性格・営利的体質の持ち主であること」が内包されているような「会社妄想社会」は、今後どうしても広がりを見せていくのだとは思う。

 ただし、いわゆる「社会人(社会適応者)」の定義から外されている「社会不適応者」たちが現に存在し、大切な課題を日本全体に投げかけている以上、国民の全員が「パラノイア」に罹患することはないと見て、身勝手ながら安心したくなってしまった。

 日本の鬱病者を減らしていくには、今の「社会人社会」のほうに鬱病者を引っ張り上げてうまく適用させる「支援」をするという発想では良くないだろう、というのが前々からの私の意見である。「人間は誰でも鬱になる可能性を秘めているのだ」という考えを持って、「支援・被支援の二極関係」を薄めていく作業が、大切ではないだろうか。

 国の運営からして、私は「政治主導」をあまりに言いすぎるのもよくないと思っている。政治「主導」ではなく、「“共”導」が大切なのではないか。

 非会社・非営利法人においても、立法的権限を有する法律上の社員や評議員の地位をいたずらに高めることよりも、行政・業務執行権限を有する理事・役員にそれなりの負荷をかけて運営に責任を持たせる手もあると思う。

「日本型儒教」的な年功序列制によって、むしろ会社役員に大きな権限を与えて負荷をかけ、会社経営に専念させる代わりに、やがてその会社の従業員となる学生たちには、国と教官陣と会社経営陣が協力して、少なくとも大学在学中は、いわば「就職活動禁止令」を出し、きちんと人間としての学問と教養と品性とを身に付けさせてから送り出す、という社会でもよいように思われる。

 私の母校である東京大学がそのような社会を提案・牽引してくれないかと期待している。

 しかし、今のところは、「日本」という新幹線は、ちょうど180度正反対のレールを走っているように思えてならず、高卒で就職するわけではない(大学を出てから就職するつもりである)のに高校生あたりからその就職活動が始められる時代が、いずれ来るかもしれない。こうしてまた、そこから取り残され、親と「社会」に申し訳ないと罪悪感を感じた鬱病者が疎外されていく状況が生まれていくと思う。

■画像出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ikebukuro_Station.jpg
posted by 岩崎純一 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本論

2011年08月19日

東日本大震災追悼和歌

DSCF1322.JPG サイトに以下のようなページを設けてみました。和歌を募集しています。被災地出身の歌人さんはまだいらっしゃいませんが。

 和歌で最も大切なのは心・感性だとは思っていますが、それだと収集がつかないので、一応、「必ず被災地の地名を詠み込んだ伝統和歌」という制約を設けています。

東日本大震災追悼和歌
http://iwasakijunichi.net/waka/higashinihon_waka.html

(右の写真は、あまり関係ないですが、私の折った折り紙です。)

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 震災以来、「人生の終わりを目前にした人間が咄嗟に発する言葉」ということについて考える機会が自分の中で増えている。人生の最期に発したり書いたりした言葉が英語であった被災者がいた現実を見て、考えさせられたからであった。

 偶然にも死の直前に英語を話していてそのまま亡くなってしまったわけではなく、助けを求める際、咄嗟に「ヘルプ!(HELP!)」と言ったり、運動場や地面にそう大きく書いたりしていた光景が今も脳裏に焼き付いている。むろん、同じ我々日本人(特に未被災地の日本人)に向けて発せられた言葉だった。

 英語とその文字であるアルファベットは、それはそれで、とても合理的で分かりやすく、アルファベットの画数は漢字に比べて少ないこともあり、迅速な救援を呼び込むには適切な言葉や文字だと思う。一方で、少し落ち着いた今、個人的には、津波にのまれながら頭の中で辞世の和歌を詠んで亡くなった被災者が一人でも二人でも多くいなかったものだろうかと、そんなことに関心を持っている毎日でもある。

 死者が1万5千人を超えているから、和歌(古語とまで行かなくとも詩や短歌)を詠んで亡くなった人も十分にいる可能性があると思う。もし一人でもそういう方がいれば、ここで詠んでみた和歌や、ここ最近ブログで書いている様々なことも、無駄ではなく、少しは明るい意味を持ってくるのかもしれないと感じている。
posted by 岩崎純一 at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本論

2011年08月17日

「秋の夕暮」的退廃美に見る「大自然本位」の震災復興の鍵(その二)

800px-US_Navy_110318-N-SB672-598_An_aerial_view_of_damage_to_Sukuiso,_Japan,_a_week_after_a_9_0_magnitude_earthquake_and_subsequent_tsunami_devastated_th.jpg続き。

 子どもの頃なら誰しも経験があると思いたいのだが、私は熱が出て学校を欠席し寝込んでいるとき、つらいはずでありながら、なぜかその中に一種の楽しさや爽快感を覚えたものだった。

 その感情は、「熱が出たことで学校を休める」という単なる利得感情だけでは毛頭なく、いわば「これほど幼稚で未熟な自己であっても、確かに世界全体・宇宙全体に積極的にかかわっている」という、一種の堕落的・退廃的な喜びであった気がする。

 そのような大げさな世界観を、母親が慌てて栄養のある料理を作ってくれている光景の中や、学校の先生と友人が自分を心配してくれているだろうという想像の中に、作り上げるわけである。そしてそれは、子どもにとっては現実の世界である。

 子どもはしばしば、自然災害に対しても同じ姿勢で構えるように思う。今回のような大震災が起こったときに、元気を失わない子どもがいる原理も、それであろうと思う。

 これは、『東日本大震災と宮沢賢治の自然観について(その一)』の記事にも挙げた、一部の被災者の「鬱が軽減される逆説的心境」とも通い合うと思う。その「鬱の軽減」の根拠は、やはり「人間本位の廃墟ブームの退廃美」よりは、「大自然本位の宮沢賢治的退廃美」のほうにあるのだろう。

「地震・津波が起きることは残念である」、「人間の死は絶対的不幸である」、これらは皆、現代の大人の視点が作り上げた一種の暗黙の常識宣言にすぎないと思う。

 子どもにとって、自然災害や震災や生き物の死滅の目撃は、「悲嘆のうちに秘めたウキウキ感」でもありうるし、「ワクワク感の同居する虚無」でもありうるし、「大人に勝利できる数少ない機会」でもありうる。しかし、今やこれは、ほぼ乳幼児の無意識の世界にのみ残された堕落と退廃ではなかろうか。

 藤原定家の有名な和歌に、「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」という歌がある。「あたりを見渡すと、華やかな春の桜も鮮やかな秋の紅葉もなかった。粗末な漁師小屋だけが残る海岸の秋の夕暮の風景に心打たれることだ」の意味である。「花」は慣例として「桜」のことだが、季節を秋に合わせるならば秋の花、例えば菊や萩や藤袴と解釈してもよいだろう。

 ともかく、歌語「秋の夕暮」がある以上、和歌の慣例や常識として、「秋の夕暮」の寂れた殺風景の退廃美を褒め称えて詠まれた歌である。西洋絵画風に言えば、セピア色一色の世界である。定家は(もっと言えば当時の歌人たちは)、「花」や「もみぢ」も、「秋の夕暮」も、両方とも褒め称えたわけである。

 私がいつも心の中で愛唱している和歌のうち、今回の地震・津波のあと最初に思い起こした歌がこれであった。今年の夏が終われば、まさにこの歌のような「秋の夕暮」、廃墟的・荒野的殺風景が東北地方沿岸に現出されることになる。

 ここで仮にも、「桜の華やかさ」や「紅葉の鮮やかさ」を震災前の東北沿岸地域の「原発誘致による好景気の栄華」や「地元の富裕な漁業関係者の大御殿」に喩え、「浦の苫屋の秋の夕暮のすばらしさ」を震災後の「現在の東北沿岸地域の悲劇的退廃美」に喩えることは、甚だ不謹慎なことだろう。だから、この私の比喩には、どこか「間違っている」箇所があるはずである。

 ただし、その「間違っている箇所」がどこかということについて、私はこの歌をじっと眺めて考えた。どうも下句の比喩ではなく、上句の比喩こそが間違っているかもしれない、と。

 定家の歌と時代において、花や紅葉が散ったあとの風景が美しかったのは、むろん、ありし日の花や紅葉も美しかったからである。つまり、この歌は、散る前の花や紅葉を批判している歌では決してない。むしろ、称揚している。

 ところが、震災後の今、東北沿岸に残された風景は「秋の夕暮」ではなかったようである。突如として多くの国民が、原発が元気に稼働していた震災前の東北沿岸と日本の姿を批判し、「反原発」「脱原発」運動を実力に訴え始めた。今までの東北沿岸と日本の姿が「花」や「もみぢ」ではなかったことに気づき始めた。

 今の国民の反応は、元より「花」や「もみぢ」でなかったものが崩壊すると「秋の夕暮」が残ることもない、ということの皮肉な証明となってしまったのではないか。もしそうならば、今から復興した後の東北の姿は、今度こそ「壊れても美しいもの」でなければならない、ということになりはしないだろうか。

 三島由紀夫は定家の歌について、「わざわざ花ももみぢも、と言い出しておいて、それを無いと言い切ったあとで粗末な漁師小屋を付け加えることで、かえって荒れ果てた海岸風景のうちに昔の花と紅葉が脳裏をよぎり、その美がこの歌の真骨頂になる」という趣旨の見解を示している。

 三島は、自身のこの見解を「珍解」だと自嘲しているが、実は本心からこの見解を述べただろうと私は見ている。このような美意識による解釈は、今まで多くの日本の文化人が主張している以上、全く珍解とは言えないと思うからだ。

 茶の千利休も、この歌には「わび」の本質があると言っている。歌人の塚本邦雄も、この歌について「ありうべき最高の美学は虚無である」などと述べている。これらはいずれも、「虚無」の成立には「花」と「もみぢ」が必要であり、「花」と「もみぢ」の成立には「虚無」が必要である、すなわち、「花」や「もみぢ」は「虚無の否定の上」にではなく「虚無の肯定の内」に存在する、ということを主張したものであった。

 だから、このような美意識は、三島が身勝手に生み出した専売特許のような意見ではないし、もしかしたら三島自身もそれを分かっていて、わざと皮肉を込めて自嘲したと思われる。

 いずれにせよ、このような美意識をもって、藤原定家や三島由紀夫や塚本邦雄は、国内外の学者たちから「耽美主義者」、「退廃主義者」などと言われる。ただしそれは、西洋芸術において、二元論的に「現実主義」や「客観主義」などに対置してランボーやボードレールに貼られたイデオロギーである「デカダンス(退廃派)」を、日本人に当てはめて見ればそうだ、ということにすぎない。

 このような「虚無と退廃のうちにこそ積極的に美を認める」態度は、先述のように子どもや先住民や動物には普遍的にあるものだろうと私は思っている。

 私は、日本・東北地方のこれからの真の復興、すなわち「花」や「もみぢ」は、常に現在の「漁師小屋が残る寂れた廃墟的殺風景を目にした虚無感」あってこそのものだと思う。

 だから、我々は今後、「東北の荒れ果てた海岸風景の上側」に、それに取って代わる都市や村落を打ち立てるのではなく、「その内側」に、春霞にかすむ桜や秋霧に浮かぶ紅葉のように都市や村落を現出していくべきではないだろうか。今の東北沿岸地域の虚無的風景を脱して復興することばかりを考えない方がよい、というのが私の思いである。

 本当に大切なことは、必ずやって来る次回の震災における地元民や地元の動植物の死を「無駄な消滅」にせず「秋の夕暮」的な美に昇華させてしまう「花」を、今からこしらえることではないだろうか。次回の震災時に現出される虚無的風景美の「思い出」としての位置付けに堪えうるような「紅葉」を、今から準備することではないだろうか。

 だから、最近の記事にも通じるが、心の基盤はあくまでも「虚無」のほうにあり、『今後の日本史の教科書に書いてほしいこと「東北縄文時代から東日本大震災へ」』の記事にも書いた「東北縄文時代」のほうにあると言える。

 この「退廃的風景美からも去りたくないという逆説的自然観」を持っていくことの大切さについて、もっと多くの人と話し合ってみたいと、最近は思っている。それは、宮沢賢治の言葉を借りて、人間の生死と動植物の生死とを差別化しない「センダード」(理想郷仙台)の思想と言い換えてもよいと思う。あるいは、「人間本位の廃墟趣味」を超えた「大自然本位の廃墟趣味」とも言えると思う。

 このように宇宙を広く深く見る心がなければ、我々は再びこの東北地方の殺風景を見たくないあまり、これを否定する視点に立って、突貫工事的な復興を急いでしまうだけだと思う。

 その意味では、先述のような昨今の廃墟ブームは、「退廃美」に身を置こうとしている点においてあと一歩で惜しいところを突いていながら、やはり本当に深い意味では、「人間の不利益(漁師小屋の退廃など)にさえ美を見ることがある姿勢」を少し踏み外しているようにも思える。

 そもそも我々は、どの既存の廃墟や荒野に足を踏み入れるときにも、ワクワク感だけでなく、いわば今回の震災での多くの人の死に対するのと同じように、その廃墟の周辺の大自然と動植物・生態系に対しても、畏敬の心が必要であったと思う。

 逆に、震災に遭って廃墟や荒野と化した今の東北沿岸部の風景に、定家的な「妖艶美・退廃美」や、子どものようなワクワク感、「無邪気な悲嘆のはしゃぎ」を感じる心の大切さをも私は思う。

 この夏のあとに現出される東北の沿岸地域の「浦の苫屋の秋の夕暮」に虚無の美を見たいと私は思う。私の「不謹慎な」デカダンス趣味を、三島由紀夫や千利休や塚本邦雄などはあの世で評価してくれるかもしれないと、僭越ながら思ってしまう。

 このような視点は、今後東北地方が真に丁寧で美しい「日本的復興」を遂げていくために、とても大切な視点であると私は感じている。「定家の和歌そのもの」を和歌として称揚することにとどまらず、「定家的な自然観」を持って生きること自体が、日本人にとって大切であろうということを思うのである。


●「秋の夕暮」的退廃美に見る「大自然本位」の震災復興の鍵(その一)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/47210860.html


■画像出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:US_Navy_110318-N-SB672-598_An_aerial_view_of_damage_to_Sukuiso,_Japan,_a_week_after_a_9.0_magnitude_earthquake_and_subsequent_tsunami_devastated_th.jpg
posted by 岩崎純一 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本論

2011年08月06日

「秋の夕暮」的退廃美に見る「大自然本位」の震災復興の鍵(その一)

Motoyasu_Bridge_and_Hiroshima_Commercial_Museum.jpg 今は少し下火だが、以前は廃墟ブーム全盛の時期があった。

 戦後を通じて、日本軍施設跡などを中心にブームはあったのだろうが、2000年あたりから急に廃墟関連番組が増えたり、「廃墟マニア」という言葉が聞かれたり、『廃墟の歩き方』(栗原亨、イーストプレス、2002-2003)という本まで出たりした。放置された人工建築(学校・鉄道・駅・炭鉱など)から、自然災害や戦争に襲われて保存された歴史的建築(原爆ドームなど)まで、様々な人工建造物がブームの対象となった。

 写真愛好家、鉄道マニア、昭和・大正レトロ趣味愛好家、心霊系趣味愛好家、歴史学者など、あらゆる人が「廃墟」に惹かれてきた。

 本日、広島への原爆投下66年目を迎えた中、福島第一原発から放射性物質は漏れ続けており、皮肉なことに、「廃校」「廃線」「廃坑」などと共に、「廃炉」も「廃墟」の仲間入りを果たす未来がやって来ることになった我が国である。

 ともかく、このブーム一つを取っても、「廃墟」や「殺風景」や「残骸」というものに対して、否定的感情だけでなく、ある一定の肯定的デカダン(退廃美)趣味を抱いている人の層が、今でも日本人の一部にいることだけはよく見て取れる。これについて、東日本大震災との関連で、もう少し考察を深めたい。私は、この「廃墟ブーム」に震災復興のヒントを見つつ、一点だけ注文を付けてみたいと思う。

 考えてみれば、今の東北沿岸の被災地域には、市町村まるごと廃墟と化したところがあり、地域によっては、その廃墟さえ残らないほど建物が津波に持って行かれ、荒野と化しているわけである。

 違法に足を踏み入れている一部の写真家などもいるようだが、上記の多くの良識あるマニアたちは、東北新幹線などが復旧した今も、まだ「レジャーとしての廃墟」目的では震災跡を訪れていないと思う。多くの人が亡くなっていて気が引け、娯楽やスリルを感じている場合ではないし、被災地支援者などの迷惑になるから、という、極めてまっとうな理由なのだと思う。

 それにしても、考えてみれば、「現代の人間の死に対する良識や倫理的態度」が「動植物や大自然にとってふさわしい態度」とは限らない場合があるのも事実である。あるいは、大自然が傷を負ったなら、巡り巡って、そこから農作物を得ている我々人間の生活も傷を負うのだから、前者の「良識」自体が曲った幻想である場合があると思う。

 元より、東北の被災地域であろうが、既存ブームの廃墟の周辺であろうが、全く同じように「動植物の生死」、「大自然の営み」があるはずである。

 人工的な廃校や廃線を放置したままにし、さらに廃墟マニアや観光客がそこに足を踏み入れたがゆえに、動植物などの生態系に悪影響が出たケースもある上、廃墟のアスベスト問題などは今も未調査のまま放置されている。

 人間レベルでなく、大自然レベルで考えれば、原発問題以前に、これまでに人間が大自然に対しておこなってきた廃墟の放置と廃墟ブームそれ自体が、東北の被災地域の他人の廃屋に土足で上がり込むのと同じ行為であったかもしれない、という見方もできてしまうと思う。

 それは皮肉にも、チェルノブイリの事故のあと、周辺に人間がいなくなった途端に、事故以前よりももっと豊かな動植物種を有する生態系がそこに戻ってきた滑稽な現実に似ている。今の東北の被災地域の荒野について、動植物たちは、「震災がなければ原発を増設するおそれのあった人間という動物が去って、全てがリセットされ、良き大自然が前戻ってきたのだ」と言うかもしれない。

 我々現代日本人は、それに対する説得力のある反論を持たないかもしれない。チェルノブイリほどの事故、廃墟さえ崩壊するほどの震災が起こらなければ、我々人間は「大自然に過剰に足を踏み入れることをやめない」生き物だと言える。

 その意味で、昨今の日本の廃墟ブームは、いわば「人間中心主義的廃墟ブーム」と言えるのだろう。「人間の死の匂いの有無」によって、廃墟の意味が変化している。

 今の廃墟ブームにとって、当該の「廃墟」及びそれを包み込む周りの心象風景に「人間の死の匂い」を直接的に感じないことが、重要な要素であるのだろう。

 大自然・生態系が壊れるおそれがあっても、人間の死の匂いのない単なる廃校や廃墟ホテルなら、そこは我々人間にとって、レジャーとして足を踏み入れるべき「良き」廃墟となってきた現実がある。原爆ドームとて、死の匂いが遠ざかったからこそ、「旅行の記念に」訪問できるとも言える。

 今回の震災が「震災である」と言える理由も、地震と津波による結末に多くの「人間の死」と「人工建造物の崩壊」が含まれていたためであろう。前回三回分の記事で考察してきたことからしても、今回の震災が人間以外の動植物や生態系にとっても原理的に「震災」と言えるかどうかを疑う素直な心は、本当はとても温厚で重要な心だと私は考える。

 あるいは、震災後に繰り広げられている「反原発」「脱原発」デモも、結局は「大自然のため」ではなく、「人間が困ったから」突如として起こした行動であるとも言える。

 このように、一見すると上品な日本的美意識嗜好や昭和レトロ懐古趣味に映る「廃墟」ブームだけれども、廃墟に娯楽を感じるのも恐怖を感じるのも、いずれも「人間本位の視点での退廃美」の域を出ていない可能性を私は考えたのだった。

「過剰な廃墟ブームの抑止力」としてはたらく要素は、ほとんど「人間の死の直接的な匂い」のみとなり、「自然全体の調和」ではなくなったと言えるのではないか。「反原発」デモも同じことで、人間本位の自己陶酔に陥らないようにしていく丁寧な作業も並行して必要だと私は思う。

 そうなると、一部の日本人が残しているこのせっかくの「廃墟趣味」の範囲を、「人間の生死に直結しない安らかな廃墟」から「人間の生死を含めた生態系の移ろいを直接的に見つめさせる廃墟」へ広げること、すなわち「人間中心主義的廃墟趣味」を一度「大自然主義的廃墟趣味」の時代へ引き戻すことこそ、復興に必要なことだと私は思うのである。

続く。


●「秋の夕暮」的退廃美に見る「大自然本位」の震災復興の鍵(その二)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/47410388.html


■画像出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Motoyasu_Bridge_and_Hiroshima_Commercial_Museum.JPG
posted by 岩崎純一 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本論