2012年05月28日

パラサイトと生活保護、著名人による国家批判、自治体や教育者による発達障害者排除など

■就職活動がうまくいかなかったり、職場環境や学校教育、周囲の人々の空気や大衆心理にどうしても打ち解けることができなかったり、犯罪被害やいじめ被害による心身の傷によって就職を逃したりして、生活費を親族に頼っている人たちは、法律上は、本当の怠惰・怠慢から生活費を親族に頼っている人たちとほぼ一緒くたに扱われている。彼らは、厚労省や内閣府、NPO法人などによる定義のもと、「パラサイト(寄生虫に由来)」、「パラサイト・シングル」、「ニート」、「ひきこもり」などと非難されてもいる。

 また、本当の困窮から最終手段として生活保護を受けようとする人が、逆に親族を頼るようにと自治体の窓口で言われて追い返されたり、周囲の人たちからそのように言われいじめられるケースが増えているようである。

 こんなことでは、これから生まれてくる日本の子供たちは、親や社会に対していったい何をやって良くて、何をやってはならないのか、さっぱり分からないのではないかと思う。

 最近、数人の芸能人の親族の生活保護(の不正)受給の実態が盛んに報道されている。私としては、個別の案件についてはあまり関心がなく、それよりも、赤の他人が「親族に生活を頼っている」というだけで、その人たちの人生の事情を知らないまま、十把一絡げに「パラサイト」と呼んでしまう風潮に「パラサイト」している、日本のマスメディアや政治家や少なからぬ国民の心理のほうに、著しく批判的な意味において関心がある。

 今はまだ、大震災直後で、「絆ブーム」や「家族ブーム」、それにまつわるイベント事が全国であるから、「家族を大切に」、「親子でコミュニケーションをとろう」という空気があって、「パラサイト人間への非難」の風潮は多少薄らいでいる気がしないでもないが、これが五年くらい経ったら、また「自立しよう」、「自分を社会に売り込もう」、「勝ち組と負け組」という空気が戻ってくるのかもしれない。


■そんな中、私がいつも読んでいる作家丸山健二氏のツイッターがますます血気盛んになっている。

 国、政治家、官僚、東電、マスメディア(テレビ、新聞、出版社・・・)、国民などを「悪党」、「詐欺師」、「クズ」、「バカ」、「アホ」、「グル」と辛辣な言葉遣いで罵倒するその文面は、私は面白くて読んでいるが、好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、だと思う。

★【丸山健二氏のツイッター】
https://twitter.com/maruyamakenji

 この人の普段のトークと言えば、まじめでありつつも気の利いたジョークの混じった面白いもので、ツイッターの過激な発言とのギャップが興味深い。

 最近では、眞人堂(出版社)のサイトに、氏のツイッター、ブログ、電子書籍や、仙台出身の菅原文太氏との対談などを紹介した特設ページが作られている。このページ曰く、氏のツイッターは「日本で最もあぶないTwitter」だそうである。いやはや、確かにこのツイッターやブログの内容だと、大手出版社は手を出しようもない気がする・・・。

★「孤高の作家・丸山健二が激しく言葉を紡ぐ」
http://shinjindo.jp/maruyama/

 それにしても、もはや最近の丸山氏は、「悪い国家を良い国家に変革すること」よりも、「国家概念そのものを批判すること」のほうに関心があるようで、生まれた時から厳然と目の前に国家が存在し、それに必死でついていかざるを得ない我々の世代とは、志向が違うようではある。

 いくらご自身の趣味である作庭に人生の残りを賭けるからと言って、それでも印税収入・税金納付などで国家とつながっているはずなのだが、その点をどうとらえているのか、もっと知りたい。

 それに、丸山氏は大企業・会社員・サラリーマン・労働者そのものに対する罵倒発言も平然とやってのけるが、そもそも、丸山氏が自邸の庭にいながら社会批判を書くのに使えるパソコンやスマートフォンなどのクラウドコンピューティング機器、ユビキタスコンピューティング機器を生み出した人間と大企業と労働者たちの叡智というものも、否定する立場なのだろうか。

 いや、それでも、私は丸山氏のツイッターの少なからぬ部分に共感できる気がする。


◆作曲家の吉松隆氏(今年の大河ドラマオープニング曲の作曲者)は、年収が10万円以下だった頃、役所・税務署から馬鹿にされた態度をとられているうちに、わざと収入を多く見せかけて税金を水増しして納めるようになったという。最近では、ご自身のサイトでも公表されていて興味深い。

 今著名な人で、「国や自治体から馬鹿にされてたまるか」という思いから、かつてこういう「水増し納税」をやっていた人は結構いたようであるが、そういう芸術家は、今でも確かにかなり風変わりな人たちではある。

 ただし、そんな吉松氏のような孤高な善人の善意による税金がどういうことに使われてきたか、今になって表に出てきて、そして我々の世代に重い負担を残したというわけである。

 いやはや、こうなると、「これからの時代は、なるべく収入を抑えて国にお金を渡さないということ、親子共々かつての貧しい日本のような素食を食べながら語らうことが、最大の幸せ、最大の親孝行、最大の社会貢献になりますよ」などと子供たちに教育するのがまっとうな筋だという気がするのだが、結局今の我々国民の多くは「世間体」に「パラサイト」する性格になってしまっているから、そういう「質素倹約精神」の時代は来ないという気もする。

 ちなみに私は、自分よりも年下の新社会人や学生や子供たちが人生を相談してきてくれた場合には、「この世に定職というものはない。あると思っている親がいたら、その親のほうが幻想を抱いている。あなたのほうがよほど自立できている」とか、「赤の他人を勝手にパラサイトなどと呼ぶ風潮にパラサイトするような人間にはなってほしくない」とアドバイスしている。

 人は誰でも、自分こそは正しいと信じて生きてしまいがちだが、私も私で、自分の考え方はとても正しいと思うから、そうアドバイスしてみているし、そもそも私のサイトはそういう主旨のサイトではある。しかし、さすがに丸山氏のような過激な表現による国家・国民非難は自分にはできないという気がするし、元よりそんな資格もないわけだけれども・・・。


◆石原都知事が知的障害者や精神疾患者に対して侮蔑表現を使っているのは、前々からだという気がするし、だんだん本気だかジョークだか分からなくなってきたが、ここに来て橋下徹大阪市長と大阪維新の会が自閉症・発達障害者に対して不穏な動きを見せているなと感じていたら、ついに「子供が発達障害になるのは親の愛が足りないから」とする主旨の条例案を作成した。

★「大阪維新の会:家庭教育条例案を撤回 市議団、保護者反発受け」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/news/20120508ddn041010026000c.html?inb=yt

 この条例案ついては、今月の初めに白紙撤回されたようだが、今日、とある関東の小学六年生の高機能自閉症の男児が、ほぼ全教科の成績が斜線(評価なし)で描かれた成績表を渡されたとの報道があった。

★「<支援放置>自閉症小6評価せず、通知表に斜線」(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120528-00000040-mai-soci

 こういう例は珍しくないようで、私の知り合いの中にも、自閉症の子の成績表に「?」が付けられて返ってきたケースがある。しかし、リンク先の記事の例のように、ただの斜線だけ引かれて返ってくるというのは、まさに「その子の存在の否定」という感じで、意図的に差別し、ふざけているような印象も受ける。

 あるいは、私と同世代の若い小学校教諭であっても、発達障害などの概念に触れたことがない人もいるようだから、本当に発達障害者との向き合い方が意味不明、理解不能で、そのせいで「?」を書いてみたり斜線を引いてみたりするのかもしれない。

 石原都知事も橋下大阪市長も、保守寄りの思想の持ち主であるのは分かるし、私も、文化の上では日本的なものを大切にしたいと思う人間だが、私の場合、「日本的な知性の復興」は「発達障害者的なものの排除」とは全く同義ではないとする立場であるところは、大方の保守思想家の方々とはかなり違うのだと思う。

 むしろ私は、日本の伝統文化(和歌、和食、茶道、香道・・・)にしても、西洋の伝統文化にしても、アスペルガー症候群的、高機能自閉症的な敏感な五感世界を持った人たちが大いにかかわって生まれたと考えている。発達障害者への偏見は真の保守思想ではないと私は思う。
posted by 岩崎純一 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・人生論

2012年05月19日

「仮想」御殿の名前と入居者募集中、自閉症観

■サイトご訪問者に自閉症の男の子とお母様がいらっしゃいますが、その子が日本の建築物の構造や間取り図(特に城郭や寝殿造)に非常に興味があり、兄弟と一緒に仮想御殿を描いてプレゼントしてくれました。

 それを、多少(建築として)無理があるところに私が手を加えつつ、パソコンで描きました。自閉症者のすばらしい能力の一例として、載せています。

 ただし、能舞台や茶室、前庭などは、後でその子から追加の要望があったもので、おまけにその子が自分で描くのが億劫そうだったので、私が最初からパソコンで設計し、描きました。

★岩崎純一のウェブサイトご訪問者居住「仮想」御殿

http://iwasakijunichi.net/goten/

 平安貴族の寝殿造邸宅と江戸の長屋の合作のような典雅で壮麗な作品で、私も一つ部屋を「借り」て「住む」ことにしました。しかし、私が「当主」という設定らしく、とりあえず、当主を引き受けました。なぜか殿方用温泉が狭かったり、そこからの逃げ道があったりするのが、楽しい特徴です。

 あとでトップページからもリンクしておきます。

 すでに何人か「入居」していますが、その他に「私は岩崎純一のウェブサイトの常連訪問者です」という方で、「住みたい」方は、その旨を(適当な日本名・雅名と共に)お申し出下さい。

(定員70名。居住個室部分のみ二階建て。個室番号「いノ一ノ一」〜「ほノ二ノ七」。一階は殿、二階は姫。という設定。)

 御殿の名前も募集しています。(6/8追記・・・「武蔵幻想邸」に決定。)

 ちょうど今、私が参加している伝統和歌の会「余情会」のメンバーが(現実に)全国に散らばってしまい、実際に集まって和歌を詠み合うことが難しくなり、少なくとも雰囲気だけはずっと保ち続けることができればとの思いで、「この仮想御殿で歌会をやっている」という設定にしました。(こちらの仮想御殿のほうが圧倒的に華やかですが・・・。)

 そういうわけで、余情会メンバーもすでに何人か「入居」しています。「仮想 曲水の宴」などを催す予定です。


■そういえば、5月14日のテレビ朝日の「Qさま!!」で、自閉症の表現に問題があったとして、局が謝罪文を公表する事態になったようです。

 私は、この番組は時間があれば見る程度で、この時は見ておらず、どういうニュアンスで登場したのかは分かりませんでした。

 局や世論や自閉症擁護団体などによると、どうやら、「ここ10年で患者数が増えている病気を選びなさい」という問題を出し、その正答の一つとして「自閉症」を答えさせたということのようです。

 これについて、「自閉症は先天的な脳の機能障害であるのに、患者や病気といった言葉や誤解を与えるイラストを使ったことが不適切だった」という見解が主流のようです。

 私個人としては、相変わらず、「自閉症者が増えた」という言説自体に疑念を持っている立場です。

 自閉症は「先天的な脳の機能障害」ではなく「先天的な脳の機能」であって、現代先進国民の幼少期・若年期以降の高度自我は、後天的に獲得した情報によって形成・規定された「自閉症状の自殺(いわば“アポトーシス”)状態」であるというのが、私の考えだということです。

 このような考え方で生きていると、次のような発想に頭が進んでゆくので、自分としては有意義に感じるのです。

 例えば、「自閉症者は、言語障害はあるが、優れた五感や共感覚的な感性を持っているに違いない」とか、「共感覚者と自閉症者の感覚世界は、壁で隔てられたものではなくて、初めから似た者同士で、連続的なものであるだろう」とか、「自閉症者が障害者に見える(障害者と認識される)のは、我々が2012年現在に生きる現代人だから、ということだけを理由としている。(前近代人や動物の脳には、定型発達者と自閉症者の区別が認識されていない可能性がある。)」とか、「今後の高度情報化・国際化社会を我々人間・日本人が円滑に生きてゆくには、少なくとも五感・知覚様態を非自閉症的なまでに鈍化させなければならないかもしれない」といった発想です。

 むしろ私は、自閉症者に「人間の原点」を見い出せないかと思っています。「なぜ我々人間は、自閉症的・アスペルガー的ではない動物になったのか」ということのほうが、我々人間にとって面白く、かつ重要な宿題であると考えています。

 実は私も、共感覚者・共感覚研究者としてテレビ局から取材を受けるたびに、自閉症などのデリケートな話題についても尋ねてみており、「自閉症者と共感覚者のつながりを含めた、もっと広くて深い人間観を日本のテレビで言ってみたいのですが」と本気半分、冗談半分で言ったら、「岩崎さんのお気持ちは分かりますが、テレビ的にはちょっと・・・」と言われてお互いに苦笑しつつ、結局私が他の出演者を紹介、などということもありました。

 内心はこういう考え方を本気で広めたいと思っていますが、それにしても、テレビ番組が「自閉症は最近になって増えた病気です」と、嘘か本当か分からないことを言ってしまうくらいだから、私の自閉症観などは、なおさら堂々と言っても構わない正しいものに思えるのですが・・・。などと、愚痴を言ってみたところで、この記事を終わります。
タグ:自閉症
posted by 岩崎純一 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・人生論