2012年11月29日

共感覚立体画像 (4) 「円周率についての共感覚」

 私が共感覚で見ている円周率の姿。

 私は、サヴァンの人のように円周率を何万桁も記憶しているわけではないが、数字の羅列について、初見のものか既知のものかにかかわらず一定の色彩と配置が見えている場合が多く、円周率の場合はこのようになっている。ただし、その日の天候などによって数字の配置が変化する。

 最後の数字の「0」以降は、自分でもよく分からないが、おおまかに見て白い棒の方向に数字が続いているようである。

pi121129_01.jpg

pi121129_02.jpg

pi121129_03.jpg
posted by 岩崎純一 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の共感覚

『作品目録及び今後の予定』

『作品目録及び今後の予定』なるものを作ってみた。全てを載せているわけではないが、すでにサイトに載せてあるものと、制作計画がある程度決まっているものはをリストアップした。

 いわば「私的ポートフォリオ」のようなもの。言語学・人工言語学・精神病理学・論理学・超数学などを含めた、「岩崎式日本語」を主軸とする試みも、大まかだが、第二巻として載せた。

『作品目録及び今後の予定』(PDF)
http://iwasakijunichi.net/mokuroku/mokuroku.pdf

【2014年1月5日 追記】
 再考のため、削除済みです。
posted by 岩崎純一 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ・挨拶事項

2012年11月20日

我々人間が作り出す様々な虚構について

 京都大の山中伸弥教授のノーベル賞受賞などで、iPS細胞が話題になっているが、臨床応用も間近のようである。

「iPS細胞」と私の持っている「共感覚」との関係という観点から一つ書いておくと、おそらく実現することはないだろうが、もし脳細胞を初期化して、視覚野(可視光すなわち一部の電磁波情報の処理)・聴覚野(音波情報の処理)・連合野(諸情報の連合)・前頭前野(高次知能・思考)といった成人の脳の機能分化を無に帰する技術が開発されたならば、理論上は、一部の可視光・電磁波を聴覚野に、一部の音波を視覚野に入れるなどの脳設計をおこなうことで、人為的に「共感覚」を発生させることができることになる。

 私はこういったことには批判的で、また私は、「共感覚」の語自体を(かつて和歌評論の世界で使用されたような手法で)かなり芸術・哲学概念的に使用しているが、医学・生理学概念としての「共感覚」というのは先の通りであって、理論上は、このような脳のメカニズム構築によって人為的に発生できると思われるし、欧米ではすでにそのような「共感覚の応用」の動きも見られるようである。

 また、実際に私の脳は、成人した現在でもそのような脳神経系を維持しているがために、共感覚を感じることができているのかもしれない。

 ところが、今私が書いた「脳の初期化の可能性」は、半分は嘘を書いたかもしれないのである。なぜなら、「現代の成人の脳の初期化」を発想したのは、まさに「現代の我々成人の初期化されていない脳」なのだから、脳が初期化された途端に我々は「電磁波」や「音波」といった概念を認識不可能になる可能性があるためである。あるいは、その場合、「電磁波」や「音波」が我々の認識不可能的な外界になお消失せずに存在すると言えるかどうかも疑わしい。こうなると、認識論や存在論の問題になってくる。

 そもそも、脳というのは、ずっと以前より勝手に自ら「初期化」を繰り返している唯一の「組織」であると言える。

 言語障害を負った脳卒中患者の脳を調べると、実際に言語野の破壊が観察されるにもかかわらず、数年経つとその反対側や前後左右など別の脳部位が言語野に生まれ変わるなどは、その典型例である。しかも、視覚野や連合野などの各部位の一部を少しずつ割り当てて新たな言語野を構成するため、まさに「脳細胞の初期化」が起こったと考えられる。

 機能分化後の組織が新たな機能分化をするとき、一旦はその構成細胞が未分化の状態に戻る必要があることは、脳以外の組織でも同様らしく(そもそもこのことが山中教授の発想の根幹でもある)、結局は受精卵からの個体発生の過程によく似ていると言える。

 私は普段、「どうすれば大人になってから共感覚が身に付きますか?」という質問に対して、「子供の頃の自分に戻るか、脳のミクロ構造を急変させる心的外傷(戦争・地震などによるストレス)を体験するしかないと思います」と答えたり書いたりしている。

 その理由は、「我々人間は、本能的に自らの身体や精神の何らかの原始的・初期的状態を欲求する生き物には違いなく、高次知能を優先的に発達させてしまった現代人だからこそ、それへの欲求が強いのかもしれないが、まずは、倫理問題の俎上に載せられるほどの危うい医療的手法によってそれを欲求するのではなく、子供の頃の回想や意図しない心的変化によってそれを味わうことから始めたらどうか」という提案の(我ながら横着な)言い換えだという気がしている。

 ここで、「かつて、共感覚は虚構で共感覚者は虚言者ではないか、と言われた時代があったが、そもそも、五感もまた我々の虚構の世界なのであった」などと変に格好つけて言うつもりもないけれども、少なくとも、脳以外のiPS細胞の臨床応用が実現したとして、今度は脳の五感と自我を初期化しようと企んで初期化したところで、そのことを思考していた五感と自我がアンインストールされるのだから、我々は脳を元に戻せなくなり、携帯電話もテレビも使用不可能な生物になることだけは、間違いないのだろう。

 そういうわけで、「我々が見ている現実世界は、我々の脳が作り出した虚構である」ということが、哲学のレトリックとしてではなく、サイエンスの述語としても言える可能性があるわけだが、今回問題にしたいのは、そのような「虚構」とは少し違う「虚構」である。

 最近、iPS細胞の話題に関連して、「すでにiPS細胞技術の臨床応用を終えた」とする虚偽発表をおこなった男性看護師がいることが報道された。

 むろん私も、このような虚偽・捏造は決して好きではなく、許しがたいと思うが、そもそも我々人間が「嘘をつく」というのはどういうことかを改めて考えた。

 この看護師は、「嘘をついてでも注目されたい」という自分の欲求に対しては「嘘」をつくことができない人で、結果的に他人に対して嘘をつくことになったわけである。

 一方で、就きたくもない仕事に就き、働きたくもない職場で働いて、周囲の人々に笑顔を振り撒いて生きている人々は、(つまり、ほとんどの日本国民は、ということかもしれないが、)他人に対しても自分に対しても嘘をついていることになるわけだが、私はそのような日本人の特徴は割と好きである。

 しかし、この看護師が自分が嘘をついていることを自分で認識している一方で、自分が嘘をついていることを自分で分かっていない日本国民のほうが多いと思うし、そのような国民がまた、嘘のマニフェストの中から「最もましな嘘」を選ぶという一連の作業が、選挙だということになっている気がして、どうも落ち着かない気分である。

 果たしてどの「嘘」が「原罪的」であるだろうか、我々自身がすでに「この看護師に勝るとも劣らぬ虚言癖」の持ち主ではないか、と考えてみると、ますます分からなくなる。しかし、実際のところ我々は、人生のどこかで、この看護師並みの大嘘をいくつかついて生きている存在に違いないと思う。

 そういえば、かつて「ソーカル事件」といって、著名な学術雑誌に対し意図的に虚構の論文を送り付けたらどうなるかを実験した事件があった。出鱈目な哲学用語・科学用語の羅列であったにもかかわらず、「見事に」雑誌に掲載されたことで、我々人間の常識・社会通念・信仰・知能といったものがいかに「出鱈目で主観的な」ものを含んでいるかが浮き彫りになったのであった。

 ちなみに、私はこのサイトで解離性障害などの精神疾患も扱っているが、つい先日の『週刊新潮』に非常に興味深い記事が掲載されていた。かつて自分で石器を埋めて自分で掘り出して石器を新発見したことにし、歴史の教科書が書き換えられる大騒動を巻き起こし、高校時代の同級生や私の中にあった「日本列島の悠久の石器時代」への夢と憧れとを打ち砕くことになった、或る「神の手(ゴッドハンド)」なる人物が、解離性同一性障害に陥り、入院先で知り合った女性と結婚したとのことである。

 もし、今回のiPS細胞の虚偽事件を引き起こしたあの男性を見て、「あんな男性と恋に落ちたり結婚したりする女性なんていない」と思った人がいたら、それもどうやら「嘘」だということになるかもしれない。

 ともかく私は、iPS細胞技術の臨床応用が「本当に」善行か、あるいは、先の看護師の嘘が本当に(社会と無関係の)個人の悪行か、といった具体的な時事にも関心があるが、それ以前に、「人間の脳と身と心とに起こりうる(が起こしうる)全ての嘘」に関心があるし、むしろ、それらに原理的な関心を持つことができているか否かを、「自分の正直さ」の指標としているつもりである。

 なぜなら、これらの嘘は、同じ人間である私の、そして、私の周囲の知人たちの口からも、発せられうるものだと思うからである。


【関連するブログ記事】

続:我々人間が作り出す様々な虚構について
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/90201186.html

「ゴースト知覚業」(知覚代理ビジネス)は成り立つか ― ゴーストライティング時代の次の時代における「知覚原作権」の概念 ―
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/86749957.html

『ちいさなちいさな王様』から学びたいこと ―撤回する必要のない、小保方晴子氏の子供時代の「論文」―
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/90525685.html
posted by 岩崎純一 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・人生論

2012年11月15日

「武蔵幻想邸」のページを更新

「武蔵幻想邸」のページ(以下のリンク)を更新しました。

 詳細図・区画図・原図・建築データ・設置機関・居住者一覧などを掲載しました。また、部屋や門に名称が付けられました。

 邸そのものは架空の存在で、住所も「東京都花武蔵区」という架空の設定になっていますが、中で行われている芸術は本物で、私のネット和歌集編纂、言語考案、作曲なども、この邸で行われていることになっています。

 いわば、フェルディナン・シュヴァルの石造の理想宮やヘンリー・ダーガーの物語のような総合芸術の「ネット版」、といったものを意図しています。

 このゲマインシャフト的でアウトサイダー・アート的な考え方が、私が夢見ている将来の芸術家共同体の基盤にでもなれば、面白いと思っています。

http://iwasakijunichi.net/goten/
posted by 岩崎純一 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ・挨拶事項