2014年09月18日

未来年表と言語についての考え方・実験のページを設置

 サイトに以下のページを設置しました。

言語学・言語体系考案内に「言語とは何か」についての私の考え方現代日本語に関する実験を追加。

人間学・哲学全般を設置。

 未来年表を追加。

未来年表

【画像出典】
https://en.wikipedia.org/wiki/File:1e0657_scale.jpg
(パブリックドメインのため、改変した。)
posted by 岩崎純一 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語論

2014年09月09日

テニスの話(錦織圭選手の準優勝、グリップやフォームの話など)

 私は球技と言えばテニスしかできないというくらい、テニスばかりやっていましたが、日本人で四大大会の決勝に行ける選手が現れるとは思っていなかったですね。素晴らしいです。当時(中高大時代)は、サンプラスやアガシの全盛期で、私はサンプラスが好きでしたし、周囲との会話でも大抵のテニスの話の最初はサンプラスの話題、その次にマイケル・チャンやラフターやクエルテン、その次にやっと松岡修造の話題が出るという状況だったので、たったの十年で時代は変わるものだなと思いました。

 そうは言っても、判官贔屓の私は、偶然街で見かけた鈴木貴男選手に思い切って声をかけ、テニスをやっていて鈴木選手にも憧れていることを伝え、サインをもらったことがあり(気さくな人でした)、それ以来、松岡修造だけでなく、それ以外の努力型の日本人選手の活躍ももっと追うようになったものです。

 今となっては、松岡修造は、テニスとは全然関係ないプラス思考の叫びで、お茶の間で人気ですが。叫びを聞いた後で、サンプラスから1セットを奪取した伝説の熱戦の映像を見ると、ギャップに笑いますが、今の活動はこれはこれで良いと思います。

 世代は変わって、ヒューイットやロディック、そしてフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーなどの時代になっていくわけですが、そこにマイケル・チャンコーチと錦織圭という身長の低い東洋人ペアが加わったことは大きいですね。

 さて、テニスの技術的なことでも色々と思い出しますが、十年前までは、まだウエスタン・グリップやオープンスタンスを嫌う風潮が(特に日本で根強く)残っていたし、私の高校でも「ウエスタンで握るヤツはダメ。オープンスタンスもダメ。」という主義でグリップやフォームを矯正させようとするコーチがいたわけです。私も、「徐々にイースタンに戻せ」と言われてきた世代です。当時のコーチ陣は、全員がイースタングリップでクローズドでした。

 しかし、世界では、サンプラスどころか、マッケンローやベッカーの時代から、ウエスタンやオープンスタンス全盛になっていく気配はあったわけですからね。私も結局、グリップもフォームも変えませんでした。

 私などは、かなり厚いウエスタン(エクストリームウエスタングリップ)かつオープンスタンスで、基本的にサーブ(ほぼ全部がトップスピンサーブ)の直後に次のワンストローク(レシーブのリターン)を打つ前にグリップを変える(つまり、イースタンまたはコンチネンタルからエクストリームウエスタンに持ち変える)人なので、ストロークの際に、リーチが短くなる代わりに打点を前にしてトップスピンさせる、というタイプです。

 だから、大まかに見て、私のようなグリップとフォームは、サンプラスの時代に一番近いですが、それ以来、「ウエスタン化」の勢いは多少は鈍化しており、錦織圭選手をはじめ今の時代のグリップは、サンプラス時代と比べても極端なウエスタンというわけではないですね。

 それでも、トップスピンサーブを打った面の裏面で直後のフォアハンドやほとんどのフォアハンドを打つケースは増えているので(サーブのリリースをそのまま自然に次のストロークに使えるので、私もしばしばやっていた)、今でもウエスタン化が進んでいるとは言えそうです。
(イースタングリップやセミウエスタンの人は、ほぼ100%と言っていいほど、サーブとフォアを打つ面が同じで、バックを打つ面だけが違います。)

 もちろん、錦織やナダルがエクストリームウエスタン気味の厚いグリップである一方、フェデラーはセミウエスタン気味の薄いグリップであるなど、個人差はありますが。

 昨今は、そういったグリップやフォームの問題よりも、サーフェス(芝生、ハード、クレー)の得手不得手のほうが問題になる時代なのかもしれません。サンプラスもクレーが苦手ではありましたが、全仏(クレー)でナダルにほとんど勝てないフェデラーやジョコビッチのような苦手意識というほどではなかった気がします。

 グリップやフォームの革新的な変化は、今後テニスではあまり起こらないのではないかと思いますが、単なる個人的な見解なので、また十年経てばどんなことになっているかは分かりません。

 そういえば、突然話は変わりますが、テニスと言えば、どうして「大学生の男女交遊・飲みサークル」の表看板に「テニスサークル(テニサー)」が使われるのでしょうね。大学のサークルで、バレーボールやサッカーのサークルでふざけたものはあまり見たことがないですが、テニスサークルはふざけたもののほうが多い印象です。

 実態はまさに「男女交遊・飲みサークル」で、ラケットもボールも持っていかず、テニスコートに行く代わりに酒場に行くサークルもありますね。十年前でさえ、東大男子と東大女子しか入れない東大のテニスサークルは4つだけで、私はその一つに入っていたのですが、それ以外の何十とあるテニスサークルは、「東大男子と他の女子大生」というものばかりでした。それを同じように大学が公認しているのですから、実にふざけた話ですね。

 これだけ「一気飲みで学生が死亡」のニュースが流れているのに、まだ一気飲みをやめようとしないのは、学生にもなって全くニュースを見ていないか、いじめ自殺とはまた別種の自殺願望・希死念慮があるのだと見なして、大学側もそういう学生とその親を見放せばよいと思います。

 つい先日も、明大と日本女子大のインカレテニスサークルメンバーらが新宿の路上で集団昏倒していたのがニュースで報道されていました。誠に恥ずかしいですね。「テニスを」やっていた人なら分かると思いますが、ラケットへの愛着やガットの網目を指で直す感覚などは、人生の宝物であるわけで、ふざけた男女がラケットを無駄に使って、あとは放置しているかと思うと、実に憤りを感じますね。大学側もこういうふざけたサークルはどんどんつぶしていくべきだと思います。

 こういったサークルで遊びほうけている男女と、今回の錦織圭選手とを比べてみれば、どちらが技術面でも精神面でも将来性のある若者であるかは一目瞭然ですね。

 最後は余計な話になりましたが、ともかく錦織圭選手の活躍を見て、祝福の気持ちが湧いてきたとともに、自分のテニスの青春を思い出しました。
タグ:テニス
posted by 岩崎純一 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話