2014年10月20日

共感覚研究から見えてくる日本の大学(研究室・院生・学部学生など)の法意識や社会規範意識についての考察

suji120914_01.jpg目次
◆概要(日本の研究者・学生がのびのびと研究できるために)
◆被験者の氏名公表について
◆研究協力に際しての契約書面は、存在しない場合から印鑑(ただし認印)が必要な長文の場合まで様々
◆実験データのコピーの被験者への提供などに関する規定が不明確な場合
◆謝礼・御礼に関する規定が不明確な場合
◆研究協力の事実そのものの公表が許可されない場合がある
◆被験者が次の被験者の紹介を依頼される場合がある
(日本の共感覚の研究者どうしがお互いの存在すら知らない)
◆結尾


◆概要(日本の研究者・学生がのびのびと研究できるために)

 最近もいくつかの共感覚の研究・実験・インタビュー・アンケートなどに協力させていただいているが、mixiの以下のページ(14番)にも書いたように、日本の大学の姿にもったいなさを感じたり、被験者・研究協力者としての立ち位置について考えたりする機会が多いので、ブログにもまとめておこうと思う。

 基本的に私は、共感覚に関するこれらの研究や実験については、(研究室や学生の指導教員が、大学に届け出たり予算を得たりして実施しているものは別として、)特に学部学生の卒論や院生の修士・博士論文内の研究や実験への協力の場合、「予算がなくて申し訳ない」旨を伝えられた場合には、むしろ重々しい雰囲気を避けて楽しくしたい思いもあり、ほぼ無償・ボランティアで参加させていただいているし、喜んで出かけて行っているほうである。

 しかしいずれにせよ、後世に残る意義のある(楽しいというだけではもったいない)学術研究であることに変わりはないわけで、そのためにも、法倫理や社会規範といった観点からは色々なことを考えている。

mixiの共感覚コミュニティ内
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=64199&id=76639792

 もちろん、研究や実験への参加をサイトやブログで可能な限り公表している意図としては、一つには、純粋に被験者・研究協力者(最近は、「被験者」という呼び方は、指導者・査読者によってはアウトで、人権を尊重して「実験参加者」・「研究協力者」などと呼ばないとダメらしい・・・)の一人として、日本の大学がどのような共感覚研究をおこなっているかを、実験参加などに不安を覚えていらっしゃる他の共感覚者や一般のご訪問者に向けて知らせる意図がある。

 ただし、それに加え、独立行政法人・学校法人を中心とする大学、ひいてはそれらの末端で働く教員・研究者や学ぶ学生のあり方について考えたいからでもある。噛み砕いて言えば、共感覚研究そのものというより、日本の大学の運営実態、教育、教員や学生の質、倫理道徳、上下関係などの実態を探る意図ないし個人的・野次馬的な関心もあると言える。

 基本的に、私の個人的な心境としては、一番に学生、次に院生や研究者、次に指導教員(教授・准教授以下)がかわいそうな時代だと思っており、これが根本にあって、そこから色々なことを考えている。もちろん、学生の中にも、指導教員や親が指導不可能な、不真面目な学生も多いから、一概には言えないが、日本の大学教育自体が斜陽であり、元凶は独立行政法人や学校法人としての大学の経営者や学閥・政治・国や親にあり、アメリカに帰化した日本人がノーベル賞を取るなど、海外に知性が流出するのも致し方ないと思っている。

 しかし、こういったあまりに大きな話はそれはそれとして、今は、日本の大学についてもったいないと感じている部分や、被験者・研究協力者としての立ち位置について考えていることを、書いておこうと思う。

 日本の共感覚研究をもっと充実したオープンな(開かれた)ものにしていくにはどうすればいいか、という話でもある。


◆被験者の氏名公表について

 最初からちょっと笑い話になりそうな内容なのだが、時々、「学術論文データベースで岩崎さんの名前を検索しても出てこないではないか。本当に実験に参加しているのか」とか、「岩崎さんや日本共感覚協会の松田さんなどは、東大の名を借りた共感覚の捏造グループではないか」という旨のお問い合わせを頂くことがある。

 精神的には大して参っていなくとも、こういう問い合わせというのは、けっこうなダメージになってしまう。

 結論から言うと、日本では、(共感覚研究に限らず)被験者は普通、「被験者A、被験者B・・・」などと匿名で書かれるのが普通で、どうして研究倫理や論文の体裁に詳しいはずの東大・京大級の研究者からそういう疑念が出るのかがそもそも不明ではある。

 しかし、確かに著書があるような人物が参加した実験が一つも論文検索に引っかからない事態はおかしいことはおかしいので、以前、「私のように、少なくとも氏名が世に出ている被験者については、被験者からの要望がある限りにおいて、学術論文中にも氏名を記してもらうことで余計な指摘を回避することはできないか。海外の共感覚やサヴァン症候群や発達障害の研究では、被験者・当事者本人が望めば普通に著書や論文中に氏名が出ていて、研究者と被験者の関係は長期に渡って深く、一体的である」という旨を、何人かの研究者に申し出たことがある。

 そうしたら、「論文中に被験者を挙げる際に、Aさん、Bさん、岩崎さん、Cさん・・・などと書いたら、論文の体裁がカッコ悪くなるので・・・」と言われて、お互いに笑って終わったことがある。なるほど、個人よりは協調性や体裁を重視する日本ならではの丁寧な感覚で、これは物事の善悪の問題ではないのである。

 ある東大の学生からは、「被験者として氏名が出ることは、嫌ではないのですか?」という質問があって、感覚的にはそれも分かるのだが、私が提起してみたいのは、ある意味では「喜ばしい責任」のようなものでもあると思う。

 一般の主婦が論文中に「ある都内在住の主婦○○さんの共感覚は・・・」と実名で書かれたら嫌だろうし、当然「Aさん」と匿名で書かれるのが普通だが、著書があるような被験者が「共感覚者A」などと恥部のように書かれ、一般の読者が検索できないのは日本くらいで、海外だと、例えばダニエル・タメット氏やテンプル・グランディンさんや共感覚者団体のメンバーなどは、普通に被験者でもありつつ研究当事者としての立ち位置にもいて、自分を研究する研究者を監督する視点も持ち合わせており、学術論文にも普通に名前が登場するわけである。

「共感覚で名前が世に出るのは恥ずかしい」という、共感覚者からも共感覚研究者からもしばしば聞かれる思いは、控えめな日本人の良いところが悪いほうに出て世界から取り残されてしまっている例の一つと言えるかもしれない。こういうところに関しては、自分は変に進歩的なのだと常々思う。


◆研究協力に際しての契約書面は、存在しない場合から印鑑(ただし認印)が必要な長文の場合まで様々

 トラブルを避けるためには、あったほうがよいに決まっている、共感覚研究者と被験者・協力者との間で取り交わされる承諾書面や契約書面。

 実際のところ、学生の卒論・修論・博論への協力であれば、たとえそれらの書面を交わさなかったとしても大きな問題が起きることはほとんどないし、学生がそういったややこしい書面処理に忙殺されるくらいなら、研究・実験に楽しくいそしんでくれたほうがよいと思っている。

 ただし、大学の予算・規定や指導教員の主導のもとで実施される研究室単位での中規模以上の実験などを見ても、被験者・協力者との間に取り交わす書面の内容はてんでバラバラで、大変に興味深い。

 例えば、東京大学の研究室・研究者の場合、「認印が不要な(被験者の直筆署名のみの)簡易な参加承諾書面」を研究室・研究者側のみが保管するのが普通であり、被験者は多くの場合、請求しない限りコピーをもらえない。さらに、契約書面の代わりともなりうる謝礼の支払書も先方で準備しておらず、領収書も要求されない場合がある。

 一方で、院生・学部学生やその他の私大の研究室のほうが、きちんと同一書類を二部ずつ作成し、(時には割印まで押し、)被験者である私に手渡してくれる場合もあった。

 それにしても、もし当該研究室・研究者が杜撰な管理をして書面を紛失したり、税務申告を終えて破棄したりした場合、実施者にコピー書面を請求していなかった被験者は、研究協力の事実を証明できないことになる。

 当然、被験者から得たデータは、実施者ら複数の人間により複数の論文に使用されていくものであるが、例の理研の小保方晴子ユニットリーダーによる論文改竄のような、いざという事態のときに、「オープンであるべき学術研究に参加した事実」を証明し、被験者・協力者としての権利を行使する何らかの契約書面や税務書類を、全ての被験者が手元に残しているとは思えない。

 いずれにせよ、被験者の皆様には、知り合いの学生の卒論などに個人的に気楽に協力するといったことでない限り、研究実施者との間に何らかの書面を交わし、被験者・協力者としての権利を明確にしておくことをお勧めする。

 しかし本来は、論文読者・査読者が被験者の協力の事実の提出や公表を請求した場合の証拠書類が、まずは被験者側にではなく研究の実施者側に、書面または電磁的記録として残されているべきものだと考える。


◆実験データのコピーの被験者への提供などに関する規定が不明確な場合
(基本的に、自分が答えた実験の回答の一覧や、自分に共感覚があるという結果が出たのか否かも、請求しなければ教えてくれない)

 これも、大学・学部・学科・研究室ごとに被験者にデータを提供したりしなかったり、内規があったりなかったり、研究室の構成メンバーごとに対応が違ったり統一されていたり、色々な要素がてんでバラバラで、大変に興味深い。

 次項の謝礼・御礼については、当然ながら支払書・領収書など何らかの書面が残ることが多いが、被験者へのデータの提供(いわば「知の還元・共有」)についてきちんと文章化できている大学や研究室は少ない。

 実験データの被験者・協力者へのコピーの提供に関する規定を書面でもらえない場合は、必ず自分側で可能な限りの記録を残すようにしている。

 共感覚者の皆様には、ぜひデータの受け渡しについて書面で確認を取ることをお勧めする。

 しかし、双方の署名入りの書面を交わしていたとしても、研究者や学生が実験データのコピーを期限通りに被験者(である私や私の知人の被験者)に渡さず、メールでの要求にも応じなかったために、指導教員や先輩研究生に直訴するなどのトラブルも、過去に何件か発生している。


◆謝礼・御礼に関する規定が不明確な場合
(謝礼・御礼内容も、大学主導の税務書類の申告が必要な場合から、学生がポケットマネーで頑張って買ってくれたお菓子の場合まで様々)

 また、源泉徴収の有無や謝礼・御礼の形態(振込、現金手渡し、図書カード、食品、お菓子など)もバラバラである。多くの場合は、きちんと謝礼額が明記された署名・捺印書面を交わすが、学部学生の卒論や院生の修士・博士論文の場合、大学の内規における謝礼に関する規定に抵触しない限り、学生の単独行動によるお菓子程度の御礼である場合もある。

 冒頭でも書いたように、まだ大人がやるような大げさな社会規範を身に付けていない学生が相手なら、無償・ボランティアで参加することに異存は全くないし、なるべく重々しくない気楽な雰囲気で学生のお役に立てたら、とは思っているのだが、御礼がそのあたりのコンビニで買ってきたようなお菓子の場合、さすがに一応は、「指導教員からこういう場合はどういう礼の仕方をするように指導されているのか。内規に抵触したり、指導教員から叱られたりしないのか」を心配して尋ねる癖は付いてしまっている。

 最近の学生を見ていると、非常に礼儀正しくこちらから協力したいと思わせる学生から、一歩社会に出ると相当程度叩かれるだろうと思われる学生まで、実に様々だと感じる。

 しかし、謝礼・御礼についても、学生よりも研究室・研究者のほうが律儀であるとは限らず、きちんとした契約書面を交わしておきながら年末に税務書類・源泉票が来ないことや、契約書面がないのに税務書類・源泉票だけは来ることもある。

 ただし、被験者側にもこの件を尋ねたところ、税務申告が必要である場合も雑収入などとして申告していないケースのほうが多かったので、おおよそのところ、双方共がそこまでこういった件について深く考えているわけではないと言えそうだ。

 共感覚関連の実験の被験者の多くが確定申告の不要な主婦・学生や確定申告に慣れていないOLなどであることも、そもそもこういった問題のネックになっていると考えられるし、それは致し方のないことでもあり、分かりにくい面もあるとは思うのだが、こういった謝礼が収入であることは確かだ。当然、源泉徴収がなかった場合の申告漏れは脱税となることがあり、源泉徴収があった場合は申告によって還付できることがある。
(たぶん、心当たりのある共感覚者の皆様もギクッとするはず・・・。)


◆研究協力の事実そのものの公表が許可されない場合がある

 タイトルの通り、研究協力の事実そのものの公表が研究室や研究の実施者などによって許可されない場合がある。ただし、口約束がほとんどである。

 実験の内容や手法、回答の公表については、ある被験者が別の被験者に便宜を図ったり実験結果に影響が出たりすることを防止するために当然必要だが、これも口約束がほとんどである。

 学生の卒論・修論・博論への協力の場合は、被験者による公表が学生の指導教員によって禁止されることが普通のようである。(実際に私にも、そのような指示がいくつかあった。)

 私は逐一、それぞれの研究室や研究の実施者に、研究協力の事実をサイトで公表することの可否を尋ねており、尋ねる前から、研究室の指示または内規によって公表が許可されていない旨のお知らせを懇切丁寧に頂くケースもけっこうある。もちろん、これは「研究協力者(公表可または論文に氏名掲載)と被験者・参加者(公表禁止)は異なる」という日本的な観点から出ている発想だということは言える。

 学生の卒論などの場合は別にして、広く公表された論文などについては、本来ならば、アメリカやEU圏の著作権法や学術論文文化のように、「論文などの形で公表された学術研究に実験データ(回答データ・脳計測データなど)や人体組織(遺伝子情報・血液など)を提供した被験者は、協力の事実については論文執筆者に断りなく公表できる」状態でなければ、論文の価値も下がるように思うのだが、このあたりは人による立ち位置の違いかもしれない。

 あるいは、もし税務書類のように「10年の保管期間を超えれば、論文に使用した被験者のデータを破棄してかまわない」といった内規が大学・学部・学科・研究室ごとに存在したり、「データは当該論文の研究目的にのみ使用し、使用後は直ちに破棄します」といったおなじみの規定を遵守しようとすると、けっこう色々な問題が起きることになる。

 例えば、データを破棄した時点以降は、当該実験の実施の事実を証明するものが存在しないことになるほか、そのデータ(の頭での記憶)をいかなる新規の論文にも用いてはならないはずである。そうなると、「11年前に行われたという実験では・・・」といった11年後の論文中の文面の注には、それが実験の存在の類推や孫引きである旨を記さなければならなくなるので、そのあたりの事情がどうなっているのかは知りたいところである。

「期限付きの破棄」の契約を交わした以上は、研究者はその契約通りに書面のシュレッダーによる破棄や電磁的記録の消去をおこなわなければならないはずだが、実際は、「直ちに破棄」ではなく「密かに保管」している場合も多いと思う。

 Twitterにも書いたのだが、私が参加・協力させていただいた研究・実験・インタビュー・アンケートなどについて、事実そのものの公表が禁止された場合は当然公表しないが、実施者や実施学部・学科、研究概要など一部のみの公表が許可された場合、以下のページになるべく記すことにした。

http://iwasakijunichi.net/joho/


◆被験者が次の被験者の紹介を依頼される場合がある
(日本の共感覚の研究者どうしがお互いの存在すら知らない)

 最近、「被験者数が足りなくて困っているから、他の共感覚者を複数紹介してほしい」といった大学の研究者や院生・学部学生からのご依頼を頂くことがある。一見すると被験者数に困っているとは思えない日本共感覚協会でさえ、上掲のリンクのようにmixiなどのSNSで被験者を呼びかけている状況であるから、致し方のないことだと思う。

 基本的にこういったご依頼は、以下の「仕事のご依頼メール」として受け付けているが、ご依頼者が人脈があまりなくて困っている学生なら、喜んで無償・ボランティアで知人の共感覚者などの中からご紹介させていただいている。ただし、それぞれの被験者のご意志やご都合などを伺う必要もあり、ご期待に応えられるとは限らず、その点はご容赦願いたいところである。

仕事のご依頼メール
http://iwasakijunichi.net/renraku-official.html

 そして、この問題の原因の一つには、もちろん「参加したい研究・実験についての共感覚者側の選択権・自由意志」があると思う。やはり、共感覚者ごとに「この研究・実験には参加したが、あの研究・実験には参加したくない」といった希望やこだわりがあるので、参加して下さいそうな心当たりの共感覚者に「こんな研究・実験があります」と紹介しても、返事を頂けず、逆にご依頼下さった研究者や学生に謝ることもある。

 ただし、もう一つの原因には、「研究者どうしがお互いの存在すら知らない」ことがあると思う。

 いつも誠にもったいないことだという気がするのだが、せっかく共感覚研究を頑張っていらっしゃる研究者や学生が、学術論文・研究用の実験データを取るためにSNSで呼びかけなければならないほど、一見すると被験者数が大幅に足りないように見えて、実は複数の共感覚研究グループや個人研究者、複数の共感覚者オフ会などが、お互いの存在すら知らず、別々に動いているだけという現状が、非常にもったいないなと思っている。

 これも例えば、同じ東大の中でも、すでに各学部・研究科に一つ(一人)は共感覚研究グループ(指導教員・研究者・学生)が存在している状況であるのに、お互いがお互いを知らず、他の大学の研究者・学生や日本共感覚協会の存在について尋ねても「それは何ですか?」という状況であるわけだ。かなりもったいないと感じる。

 もちろん、それぞれに独自の研究手法やポリシー、暗黙の壁や仲間意識のようなものがあるのであれば、それはそれで全くかまわないとは思うし、実際にそういったことはしばしば感じるのだが。

 これについても、先ほどの謝礼・御礼と同じで、単に人脈がなくて困っている学生なら、喜んでお手伝いする気になるものの、大学に長年いて人脈のあるような指導教員や研究者が(被験者への門戸を狭めるほど研究・実験の独自性を強調していながら、いかにも面倒臭そうな様子で)被験者に被験者の紹介を願い出る現状というのは、どうしたものかとは思ってしまう。

 それに、指導者が「被験者をもっと探してきなさい」と研究者や学生に指示している場合もあり、指示された研究者や学生が、結局は一般の共感覚者宛てに被験者集めや紹介を依頼するしかなく、末端で被験者が被験者集めに奔走し、結局は研究者・学生と被験者が共に困り果てる、という現状は、学問の対象としての共感覚の立ち位置という点から見ても、心の健康上も、あまりよろしくはないと感じる。なかなか難しいところである。

 大学・学部・学科・研究室どうしで被験者を共有し、実験手法は個々の研究者や研究グループの独自のものとする、ということなら、まだ理解できるし、日本の共感覚研究がどんどん前に進む気がするものの、自らの研究の独自性を強調しつつ「被験者が足りない」ことを被験者に嘆くというのは、よく分からないし、「被験者の一人として、ご研究の進展を心より祈念いたします」くらいしか言いようがないのがつらいところである。


◆結尾

 どうも日本の共感覚研究は、喉に痰が詰まっているかのように、なかなか前に進んでいるように見えず、もったいないなと思うのであった。

 色々と書いてきたが、ほとんどの共感覚者が共感覚そのものとは別の仕事や人生を歩んでいらっしゃる中で、恵まれた立場にある研究者の方々には、それなりの意識を持って前に進んでいっていただけると嬉しく思う。
タグ:共感覚
posted by 岩崎純一 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 共感覚論

2014年02月06日

「ゴースト知覚業」(知覚代理ビジネス)は成り立つか ― ゴーストライティング時代の次の時代における「知覚原作権」の概念 ―

 今回は、共感覚者としてゴーストライティングの問題を考えてみたいと思います。


■佐村河内守氏のゴーストライター問題

 佐村河内守氏の問題で大変なことになっていますね。

 著作権は、「表現(されたもの)」に生じるのであって、「アイデア」には生じない。―――これは現代の先進国の著作権法の常識ですが、今回も譜面に「表現」したのはゴーストライター新垣隆氏のほうだったというわけです。

 佐村河内氏が新垣氏に渡したと見られる作品案メモが公開され、これ自体は佐村河内氏の著作物ですが、佐村河内氏は今まで、「作品案メモだけでなく、譜面も自分が書いている」と主張してきたわけで、残念ながら嘘であることに変わりはないですね。

 それに、佐村河内氏は、(本物であるはずの)著作者としての自分の名前と聴覚障害にお金を出してくれた人々(特に震災の被災地域の方々と広島の被曝者の方々)の善意で生活していたわけで、一部で言われているように、景品表示法違反や詐欺罪の匂いも確かに見えてきましたね。

 しかし、今のところは「民事での損害賠償だけは確実」という程度のようです。

 NHKで放映された佐村河内氏のドキュメンタリーは、「何だかヘンだなあ」という違和感を持ちながらも、私も感動を持って見ました。今思えば、その感動は、佐村河内氏のそばにいた被災地域の子供たちへの感動とごちゃ混ぜになっていたかもしれませんが・・・。

「作曲する時間は神聖な時間だから」という理由で、撮影を拒否していましたが、まさかあの部屋で楽譜が書かれていないとはさすがに思いませんでした。氏は、「岩の隙間を伝い降りてくるようなその音こそが自分にとっての真実の音」である旨を述べていましたが、代わりにその部屋に、オーケストレーションの勉強家がよく使うベルリオーズ&R・シュトラウスや伊福部昭やウォルター・ピストンの『管弦楽法』の分厚い本が、皮肉にも降ってきてほしい気分になりました。

 ただ、野本由紀夫氏などの音楽学者が佐村河内氏を絶賛しているほか、私が好きな作曲家の三枝成彰氏や吉松隆氏など、音楽界でも比較的異端派の憂き目を経験してきた作曲家・音楽家でさえ、部分的には佐村河内氏の擁護に回っているのが、少し気になります。ただし、後者の作曲家の皆様も、当初から佐村河内氏への高い評価と賞賛を公に表明してきた方々ばかりですので、今回に際しても突如として批判側に回るわけにいかないのかもしれません。

 しかしながら、これらの方々も、佐村河内氏のプロデューサー的能力を買ってはいるものの、音楽家としての行動については批判している部分もあるようです。

 それにしても、「自分の作品は自分で創っているだろう」という音楽の素人としての、あるいは、「障害者は人に悪いことなんてしないだろう」という障害者性善説の純粋な信奉者としての一般国民(特に被災地域の子供たち)が持つ文脈を利用したビジネスが、芸術やマスコミの世界では普通に見られるのだということを、改めて思い知らされます。


■「アイデア」のさらに底にあるもの

 ところで、冒頭にも書いたように、著作権法をはじめ、日本の現行の法律は「表現」を守ってくれる一方で、「アイデア」は守ってくれず、それはそれで「人の頭の中のことなど分からぬ」という法の精神が見えて良いわけです。「犯罪を頭の中で計画する」ことと「犯罪を実行する」こととが、哲学上・道義上は分かりませんが、法的には全くの別物であるのと同じです。

 しかし、共感覚者の私としては前々から、近未来の法律は「個人の知覚」を守ってくれるかどうかという問題に関心があります。

 そういうわけで、まず、「知覚」を法的に守るためには「表現」と「アイデア」の両方が法的に守られていなければならない、という話をします。

 一般的に、「表現」は「アイデア」があって生まれるもの、「アイデア」は「知覚(感覚・五感・共感覚など。ここでは、認知・認識なども総称しているものとする。)」があって生まれるものですが、現行の著作権法が守っているのは、以下の(3)「表現」だけです。

 例えば、私は共感覚(という独自の感覚)を持っていますが、今現在は、法的に保護されているのは、私の共感覚ではなく、私の共感覚に関する著作物やサイトコンテンツのみですね。

人間が作品を生み出す一般的な過程
(1)「知覚・認知」--->(2)「アイデア」--->(3)「表現」


 これに対して、「アイデアなくして生まれた表現」とか、「五感を離れたアイデア」という人もいるかもしれず、それはそれで立派なレトリックですが、ここではそういうことではなくて、純粋に法整備のあり方が芸術・科学技術の発展に対して持つべき相関性を考えます。

 今回のゴーストライティングの件もすでに、作品に直接的に使われた絶対音感がゴーストライター新垣氏のものだったという点が、まさに私の興味を引きます。

(昼間の新垣氏の会見により、佐村河内氏に聴力があることが大方判明し、少なくとも氏が持っていると主張してきた絶対音感が「過去の記憶」ではなく「現在の聴力」に基づくものであるか、その絶対音感自体がないかのどちらかであることが分かってきたわけですが、そのことはここでは横に置きます。)

 ともかく、佐村河内氏の多くの楽曲に用いられた五感・絶対音感・創造力などは、新垣氏の脳が有するそれらであるという点が、共感覚や絶対音感を持っている私としては、極めて重要に、かつ気の毒に、そして滑稽に感じられます。

 もっと言うと、私も今回の件は、新垣氏が自身を「共犯者」と述べたように、両者に責任があると思いますが、私としては、新垣氏が自身の芸術能力なり絶対音感なり感性を使って作ったものを、佐村河内氏が「自分の絶対音感を使った」と述べているところに、「人の感性の側面を守りきれない現行法の不甲斐なさ」、そして、「知覚原保持者・感覚原作者が持つ能力を法的に保護する時代の到来の必要性」を感じます。

(「知覚・感覚の原作」とか「知覚原作権」という造語を使いますが、これは「人間が知覚を持つ」ことを「その人間が知覚を創作している」と見なした場合の用語だと思って下さい。)

 この点を突き詰めることは、世界的に生まれつつある未来型の「知覚代理ビジネス」への過渡期としての今を考える上で重要だと思います。

 今現在、主に世にあるゴーストライター問題は、まだ「物理的に鑑賞可能な」芸術作品や・著書・ウェブコンテンツ(サイト・ブログの文章・画像など)、つまり(3)についてのゴーストライター問題のみですが、いずれはゴースト知覚者、つまりは知覚や愛、幸・不幸、喜怒哀楽を脳電位・脳細胞・遺伝子レベルで代理プロデュースするような仕事、ゴースト知覚・ゴースト認知業が生まれ、それに対する法整備を人間は要求される未来が必ず到来するというのが、私の考えというか、予想・予感です。(私自身は、そんな時代の到来自体が嫌ですが。)

「特許」という概念がありますが、この場合、アメリカでは「著作権者や発明家がそのアイデアを発想した年月日を証明する数名の人物による記録・メモがあり、かつそれが捏造でないことが示されるならば、その年月日を特許出願日やアイデアの記録開始日からさかのぼって特許取得日とできる」旨が定められているので、アメリカは(2)を法的にも積極的に保護している社会と言えます。

 ヨーロッパ・EUや日本の著作権法や特許法は、保守的と言うか、それはそれでアメリカ型の自由社会・個人主義社会とは異なる歩みがありますので、(2)は積極的には保護されていませんね。

 つまり、特許の世界では、アメリカは「思いついた者勝ち」、ヨーロッパ・EUや日本は「作った者勝ち」という現状だと言えます。


■現在は「ゴースト知覚業」の黎明期

 さて、今回の新垣隆氏の創造性や音感、そして心身の不自由や未成長などの理由から創造性や音感を物理的な著作物として表現できない成人や子供が持つようなそれらである(1)を保護すべき社会を考えるために、例えば、「ゴースト共感覚業」というものを考えてみます。

 ここで、私(岩崎純一)の共感覚が嘘だったとしてみましょう。

「実は岩崎純一が見ている色は、別人のゴースト共感覚者が見ている色で、実験の際は実験室の外にいるゴースト共感覚者に瞬時に問題を送信し、ゴースト共感覚者が色を見て、直後に岩崎に返信する」

というようなことになるでしょう。あるいは、

「事前に本物の共感覚者であるゴースト共感覚者が見た数千字の色を、岩崎純一が暗記または記録しておき、それを答えている」

というようなことになるでしょう。「共感覚」がギリシャ語由来の英単語”synaesthesia”の訳語であることを考えると、いわば”synghostaesthesia”(シンゴーステステジア・ゴースト共感覚・共幽霊知覚)などといったところでしょうか。

 もし本当にそんなことをやったら、実際に大学や研究機関での実験では、謝礼・対価が出ていますし、それは、私の共感覚を先方が評価し買ってくれているということですから、明らかにこちらの騙し行為ですね。この形式での欺瞞が大規模化すれば、もしかしたら現行法においても、私とゴースト共感覚者が研究者・論文執筆者に刑事上の詐欺行為をはたらいたことになるでしょう。

 もちろん、さすがにゴースト共感覚業では、こんな程度の一日でバレるような小技の著作権法違反や詐欺行為しかできず、色々なゴースト知覚業の中でも、特にゴースト共感覚業なる商売は、今後も生まれにくいでしょうね。

 しかし、ここで重要なのは、現行法のままでは、中小規模のゴースト知覚業による騙し・欺きであれば、(現行法は、「知覚」そのものの電磁気的・化学的記録を想定していないから)どこまでも合法であり得るという点です。

 実際、現行法では刑事事件に問われないような、いわば「知覚代作業」・「感性代理業」が、色々と議論されています。

 例えば、海外の特殊知覚研究者の間では、脳電位・電磁気的データの他人への移管技術やヒトゲノムの操作技術が確立するであろう将来に、共感覚や絶対音感、直観像記憶、発達障害者が持つサヴァン的な芸術・数学能力などを電気信号レベル・遺伝子レベルで売買する話や、共感覚代作・代理業の話も出ています。

 もっとも、このような知覚データの保存・移管・共有などが成功したかどうかの判断には、ある種の「べムの自己知覚理論」のようなものが必要かもしれません。これは、「人間は、自分自身の行動を見て、自己の情動状態や態度、価値観などを自覚する」というものです。

 例えば、鉄道好きの人がなぜ自身がそうだと分かるかと言うと、好きという感情を持っているからという「内的理由」によるのではなく、手元に自分が撮った鉄道の写真がたくさんあることを知ったからという「外的理由」によるとするわけです。

 つまり、ハードウェア(入れ物)としての人体(脳)にソフトウェア的な記号列である知覚データをインストールしたりコピーしたりしようと試みたとき、それが成功したかどうか(本当に他人の知覚を得ることができたかどうか、など)が外的理由の変化によって確認できると我々人間が考えていなければ、知覚代理ビジネスは成り立ちません。

 ともかく、これらは、「(自身の外部の時空間に物理的になされた)表現」でも「(自身の脳が生み出した)アイデア」でもなく、「(自身の脳電位活動が示している)知覚」ですから、現行法では著作物にも特許にもなり得ません。


■「知覚原作権」の概念(知覚のコピー元の人物の脳活動についての法的な保護)

 そうなると、違法な知覚のコピーや改竄を防止するため、どう考えても知覚の原作者、つまりはその知覚を最初に有していたコピー元人物(共感覚者や発達障害者など)の「知覚の著作権」の保護のようなものを考えざるを得ません。

 ここで、「自分の共感覚そのものを売るなんて、ずるいのではないか」と言う人がいるかもしれませんが、すでに我々は「表現」と「アイデア」を売り買いし合う社会に生きているわけです。

 将来的に大人が我が子らの「知覚」、英語能力や数学能力を脳のニューロン・電磁気レベルで売り買いし合う社会が来るのは、必然かもしれません。それは、「知覚」を法的に保護し、保護された「知覚」への侵害を犯罪・親告罪(知覚原作者が侵害者を訴えると、侵害者が刑事罰に問われる)としなければ人類が困る時代であると言えると思います。そこでは、知覚の売買のうち、どのようなものが「知覚原保持権」ないし「知覚原作権」への侵害に当たるかが問題になるはずです。

 今回の件で言うと、ゴーストライター新垣氏が佐村河内氏に代わって実際に手書きした譜面や二人の間でやり取りされた書類(現行法において著作権法違反、景品表示法違反、詐欺罪の物的証拠となりうるもの)だけではなく、佐村河内氏に代わって作品制作に用いた新垣氏自身の絶対音感も法的な係争の対象となる時代が来るだろうということです。

 面白い話として、“ghostwrite”(ゴーストライトする、代作する)は既存の英単語で、本当にゴーストライティングが流行した時代に生まれていますが、いずれは、”ghostperceive”(ゴースト知覚する、他人に代わって感じる)という概念や単語も出てくるかもしれませんし、”ghostlove”(他人に代わって愛する)ことも未来にはあり得るのかもしれません。

I ghostlove you.(私は誰かの代わりにあなたを愛しています。)
Ghostthanks.(誰かに代わってありがとう。)

などという会話が出てきそうなものです。疑似恋愛・代理恋愛というものは、すでに日本でも性風俗業の一種などとして人気のようで、ニュースで見るたびにそういう風俗趣味が実在するという意味を取るのに時間がかかるくらいですが、これも同じような発想でのビジネスなのだと思います。

 今回の件で分かったことは、「どんなに無名であっても自分の作品(芸術作品から普段の日記まで含めて)を自分で創り、綴っている人が、どんなに自分を誇っていいか」ということに加えて、「人を信じ愛することは、自分の脳が創造した幻像・物語を信じ愛することである」ということかもしれません。

 しかし、それでも人を信じ愛することを諦めないことは、それがカミュが描いたシーシュポスの徒労のようなものであっても、いつまでも人間にとって重要なことなのかもしれません。

 ともかく、他人の代わりにゴースト作曲する仕事どころか、他人の代わりに絶対音感や共感覚を感じるゴースト知覚業が今にも出てきそうな世相だと思います。


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2010年08月22日

共感覚表現「色が身にしみる」とはどういう意味か

●白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(藤原定家)
(しろたへの そでのわかれに つゆおちて みにしむいろの あきかぜぞふく)
「お互いの白い着物の袖を引き離して、私たち二人が別れる時が来ました。私の袖には秋の露のような涙が落ちて、そこへ身にしみる色をした秋風が吹きつけています」

これは、後鳥羽院の下命によって新古今和歌集の『恋歌 第五巻』の巻頭を飾った名歌。私としては、恋歌の最高級品の一つと言ってよい歌だと思っている。

僕自身が人生で一番の目標とする恋歌の一つでもあるが、今回は、「身にしむ」という日本語を考えてみる。なぜなら、「身にしみるもの」が当時の日本人にとって何であったかを見てみるに、それは「色」である、と詠んである和歌が多いことの意味を考えたいからである。

「身にしむ」は、「秋風」とセットで使われることの多い表現であるが、「秋風の色」に限らず、「桜の色」や「月の色」、そういうものまでが「身にしみる」と、和歌には詠まれている。「色」という語がなくとも、「空が身にしみる」「花が身にしみる」「香りが身にしみる」と詠んである歌も多い。

そもそも、「しみる」という日本語は、今の「見る」「聞く」「匂う」などを含んでいたようで、「見る」を使わずになぜ「しみる」を使うかといった議論は、ただの和歌の高尚な知識と技巧上の問題で、本来は「色が匂う」「香りを聞く」「音がしみる」と言ってもよい。「しむ」に当てられた漢字は、手元の古い辞書を見ても、「染む・沁む・浸む・凍む・滲む・入む・薫む・點む・視む・震む・枕む」などがある。

そこで、最も堂々と、しかも恋の歌として、「身にしむ色の秋風」を高らかに宣言している冒頭の定家の歌を挙げてみたのである。

この歌に対するこれまでの近現代日本の和歌研究者の解釈は、まず例外なく、「定家は『女の血の涙(紅涙)』を想定して詠んだ」というもので、つまりは、「白い着物に赤い涙が落ちるという、紅白の対照の鮮やかさが目に浮かぶようだ」という「最もらしき」解釈が一般的だった。

けれども、下句の「色が身にしみる」という内容、つまり「視覚で見る色が私の肌に触覚としてしみる」とはどういうことかについては、和歌研究者・国語学者の中でもあまり語られていないように思う。

かろうじて翻訳した和歌研究者でも、「本来は、色彩とは目で見るものだが、まるで身にしみるかのような美しい透明色をした秋風が〜」などという解説を添えるのが一般的である。あるいは、「いや、身にしみる色が、秋風の無色透明の色のことであるはずがない。身にしむ色なのは涙だ」と予想して、「女の血の涙が身にしみるような赤色で」といった解釈まで一般的になってきた。

つまりは、目で見ない色彩を描いた和歌の「色」は、全部比喩だと解釈した。しかし、それをあえて覆そうとしたのが、前回でも挙げた塚本邦雄だった。氏がそれを明確に言った時代(昭和40年代)には、もちろん、心理学・神経科学の対象としての「共感覚」という概念を、国文学者や歌人はまだ知らなかった。

塚本邦雄の考えをまとめると、「確かに白と赤(血)という視覚的な対比もあったかもしれない。しかし、その意味があったとしても、それはこの歌のほんのごく一部の味であり、この歌の契機である。『秋風の色』とは何かについても、『色』という語を景色・様子と解せば矛盾しないとか、いや、無色透明の風に色があるのは変だから、これはただの比喩だろうとか、野暮な解釈ばかりしてきた。けれども、そんなことは、この歌にとってはどうでもよいことである。女の涙が透明か紅色か、秋風の色とはどんな色か、そんなことはどうでもよい。そんな『色』は日本語の『色』ではない。定家にとって、視覚的な色も、秋風も、とにかく身にしみるものだったのであり、視覚的な『色』が身にしみるのではなく、身にしみるものを日本語では『色』と言うのである」ということである。

つまり、「color」は「色彩」であるけれども、「色」は「color」ではない。塚本邦雄は、科学用語である「共感覚」という語がないときから、これを言っている。

「いやはや、いったい、無色透明であるはずの秋風に色が付いていて、それが男女の肌に身にしみる、とはどういうことか。どうしてそんなおかしなことを定家が詠んだのか」などという問いが、近代化以降の日本の和歌研究者の重大な問いだった。

けれども、塚本邦雄をはじめ、新古今集の重要性に気づいていた少数の人たち(明らかに当時から歌壇の劣勢・異端であり、今もそうである)は、現代日本人の機械的に分化された五感による解釈に疑念を持っていたようである。

●秋吹くはいかなるの風なれば身にしむばかりあはれなるらむ(和泉式部)
(あきふくは いかなるいろの かぜなれば みにしむばかり あはれなるなむ)
「秋風がいったいどんな色に吹くからといって、このように身にしみるほどに胸の苦しい私の恋でしょうか」

この歌における「色」も、ほとんど現代日本人の知覚・認識能力の外にある世界であって、戦後日本においてこの定家や和泉式部の歌を理解し、知覚・認識できたのは、塚本邦雄や堀田善衛など、ごく少数であると思う。

身にしみてあはれなるかないかなりし秋吹く風をよそに聞きけん(和泉式部)
(みにしみて あはれなるかな いかなりし あきふくかぜを よそにききけん)
「恋に落ちる前は、秋風が吹いても私は平気でしたし、心を落ち着けて鑑賞さえできましたのに、今はこうして、身にしみてとても胸が苦しい秋風です」

これには「色」という単語は出てこないから、現代の和歌研究者たちは、そのまま「秋風が身にしみる」と訳した。けれども、「色」が入った定家の歌を見た途端に、大議論になったのである。「秋風が身にしみる」のは触覚だからわかる、しかし「秋風の色が身にしみる」のは、五感表現としておかしいから比喩である、と多くの和歌研究者が言ったのであった。

これによって、新古今集の特色として、「比喩表現の多用、幻想美、空想美」といった用語ばかりが散りばめられるようになり、それらが定家にとっては「非幻想の現実、共感覚の写生」であったとの視点のほうは消えていったようである。

ちなみに、定家の父である藤原俊成は、

●夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
(ゆふされば のべのあきかぜ みにしみて うづらなくなり ふかくさのさと)

と詠んでいる。これにも「色」という単語は出てこないから、現代の和歌研究者たちは、そのまま「野辺の秋風が身にしみて」とだけ訳したのである。それ以来、「身にしみる」という日本語は、ほとんど合理的に分化された五感としての触覚的要素に限定されていった。

この俊成の名歌の翻訳でも、ただの触覚だけが想定された。「肌で秋風の色が見えた」という感慨、さらに、どんなに和歌に精通していても、俊成がこの「鶉」という鳥に仮託して女を詠んだときの感慨は、至極共感覚的なものだったのではなかろうか。

そして、「野辺の秋風身にしみて」なる表現のさらに高みを行き、「身にしむ色の秋風」と堂々たる共感覚を宣言した息子の定家。まさにこの歌を詠んだとき、「自分は父を超えた」と思っただろう。

最後に、「身にしむ」という表現が使われた過去の和歌と、同表現を含む拙作和歌とを挙げておこうと思う。私がまだまだ俊成にも定家にも及ばないことは、一目瞭然であるが。

●更け行けばかすめる空も身にしみていかにひさしき月となるらん(藤原基家)
●真萩ちる庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく(永福門院)
●いかがふく身にしむ色のかはるかなたのむる暮の松風の声(八条院高倉)
●よそにだに身にしむ暮の鹿のをいかなるつまかつれなかるらん(俊恵)
身にしみてあはれしらする風よりも月にぞ秋のはありける(西行)
移り香の身にしむばかりちぎるとて扇の風のゆくへたづねむ(藤原定家)
●今宵たれすず吹く風を身にしめて吉野の嶽の月を見るらむ(源頼政)
●風の音身にしむ色はかはらねど月にいく度秋を待つらむ(順徳院)
身にしみて思ふ心の年ふればつひににも出でぬべきかな(藤原敦忠)
●いつしかと朝けの風の身にしみてさやかにかはる秋は来にけり(藤原為家)
●春はなほ花のにほひもさもあらばあれただ身にしむは曙の空(藤原季通)
●吉野山すず吹く秋のかり寝より花ぞ身にしむ木々の下風(細川幽斎)
●ほのかにもあけゆく星の林まで秋のと見れば身にしむ(荷田春満)

以下、拙作。

●明暗れの床の上風身にしみて星を見果てぬ衣の下陰
(あけぐれの とこのうはかぜ みにしみて ほしをみはてぬ きぬのしたかげ)
●待つ人に飽かぬ花野を眺むれどさても身にしむ秋風の
(まつひとに あかぬはなのを ながむれど さてもみにしむ あきかぜのいろ)
●秋風のは雪にも近やかにけはひ身にしむ森の白草
(あきかぜの いろはゆきにも ちかやかに けはひみにしむ もりのしらくさ)
●端山より身にしむ色の黒髪に秋風かすむ袖の別れ路
(はやまより みにしむいろの くろかみに あきかぜかすむ そでのわかれぢ)
●袖別れ残る直香の身にしみて面影霞む春の夜の夢
(そでわかれ のこるただかの みにしみて おもかげかすむ はるのよのゆめ)
●手鏡はただよそながら臥し起きてさても身にしむ霜の袂は
(てかがみは ただよそながら ふしおきて さてもみにしむ しものたもとは)
●袖の梅雨限りは知らじとばかりに黒白もなき南風ぞ身にしむ
(そでのつゆ かぎりはしらじ とばかりに くろしろもなき はえぞみにしむ)
●風にしむ露の我がは秋の吹き返す袖のよその移り香
(かぜにしむ つゆのわがみは あきのいろ ふきかへすそでの よそのうつりが)
●ひとり聞く秋の梢に時過ぎて残る我が身にしむ風の
(ひとりきく あきのこずゑに ときすぎて のこるわがみに しむかぜのいろ)
●袖の露袂の紅葉身にしみて秋吹く風のなきを聞く
(そでのつゆ たもとのもみぢ みにしみて あきふくかぜの なきいろをきく)
身にしみてなほも髪梳く秋風は頼めし果ての玉響の
(みにしみて なほもかみすく あきかぜは たのめしはての たまゆらのいろ)
●ひとり寝る身にしむ色はさむしろや恋越す秋の白妙の風
(ひとりぬる みにしむいろは さむしろや こひこすあきの しろたへのかぜ)
●来る夜半と頼めし色を身にしめて風に恋織る秋の糸姫
(くるよはと たのめしいろを みにしめて かぜにこひおる あきのいとひめ)
●悲しみは別れかたに雨落ちてしむ音にわたる秋風の
(かなしみは わかれかたみに あめおちて しむねにわたる あきかぜのいろ)
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2010年08月20日

「狂気の沙汰」と批判された本居宣長の反共感覚的国語観

●大空は梅のにほひに霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月(藤原定家)
(おおぞらは うめのにほひに かすみつつ くもりもはてぬ はるのよのつき)

●梅の花にほひを移す袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ(同上)
(うめのはな にほひをうつす そでのうへに のきもるつきの かげぞあらそふ)

これらは、新古今和歌集にもある、大変に評価の高い定家の春の歌。僕が和歌史上最も好きな春の歌の二つで、眺めているだけで目頭が熱くなるくらいだ。ところがである。かの江戸時代の本居宣長の『美濃廼家苞(みののいへづと)』(寛政三年、1791年)という文献を読んでいると、特に前者の歌の評価に否定的で、次のように改作しろと書いてある。

●大空は曇りも果てぬ花の香に梅咲く山の月ぞ霞める(本居宣長)
(おおぞらは くもりもはてぬ はなのかに うめさくやまの つきぞかすめる)

そして、本居宣長の無謀な改作の勧めは散々に批判されていて、例えば石原正明の『尾張廼家苞(おはりのいへづと)』(文政二年、1819年)は、本居宣長に対して、そんなことで定家に文句を付けるのは狂気だと突き放している。現代歌人で僕が一番好きな塚本邦雄も、これを「狂気の沙汰」で、宣長の定家観は根本的に疑わしいと述べている。

ちなみに、同じ風情を歌った歌には、同じ新古今の、

●照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(大江千里)
(てりもせず くもりもはてぬ はるのよの おぼろづくよに しくものぞなき)

があり、こちらは「狂気の沙汰」だとは誰からも言われていない代わりに、難解な表現を最初から含んでおらず、「しくものぞなき(匹敵するものなどない)」と無難に言い切っている。つまり、「〜の月」「〜霞んでいる」という事実だけを述べるのではなく、「匹敵するものなどないだろう」と私見を入れて、和歌の評価が落ちるのを多少ごまかしていると思う。けれども、この歌もまた、定家の歌と同じく、本居宣長の歌よりは「良い歌」だ、ということは、僕のような素人歌人にもなぜかわかる。

さて、近世以前の日本史上の和歌批判というのは、理由を明確に述べずに、ただ「狂気」「野暮」「狂っている」「頭がおかしい」とだけ言って(いわば「批判と諧謔味の混じった批判」として)終わることが多いので、その和歌が劣っているとされた理由については、我々現代日本人が頑張って汲み取るしかない。

そこで、とりあえず今は「新古今時代の和歌に批判的である歌人や学者に対する批判」に限ってみると、これがなかなか面白い。どのような歌人や学者が「狂気」「野暮」と言われたかを見てみるに、どうやら五感を混交させた象徴表現、昨今の心理学・生理学などで「共感覚」と呼ばれている感性のあまりに欠如した歌人や学者が、割とそのような批判を受けているようである。また、そのことによって、逆に藤原定家の並はずれた「共感覚的な感性」というものも、いっそう浮き彫りになる気がする。

定家の歌は、現代日本語と現代日本人の五感に極めて翻訳しにくいのではなかろうか。定家は、和歌の本質などは本能で理解せよと思っていた人であったが、ここで言う「本能」とは、「五感なる分裂的知覚概念を我々人間の自己意識が認識する前の、全ての感覚・体感」と言ってもよいと思う。

「梅の匂いに霞んだ大空」とは、何だろうか。定家は、「自分には匂いが見えている」という表現をためらいなく多用する。「梅の花の匂い(嗅覚)」と「軒を漏ってくる月の影(視覚)」とが争うと言うなどは、「かぐわしい紅茶」と「美しい絵画」のどちらが優秀か、という問いと同じくらい、現代の我々にとっては意味を見い出しにくい問いではないだろうか。

ところが、定家には意味があった。定家どころか、いつのまにか歌壇全体が象徴表現や共感覚の嵐となって、定家の家系「御子左家」は、唯美主義的・共感覚主義的な歌を詠む家となって、共感覚表現に溢れた新古今集の編纂に至った。

ただ「争ふ」とだけ言って止める。匂いに月が霞む、嗅覚と視覚とが混ざり合う、そしてその混ざり合いが本当に「見える」ようなことが人間にはある、ということを、定家は信じていたか、実感していた一方で、本居宣長はそういうことは案外嫌った。

宣長は他にも、定家の有名な「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」の歌について、「浦の苫屋の秋の夕暮に花やもみじがないのは当たり前なのだから、ないものをわざわざないと詠むのは無駄である」といった非難をおこなっている。これも、宣長が「虚無の美」、すなわち「目の前にないからこそ人の心に面影として浮かび上がってくるものの美しさ」が認識できていなかったか、認識できていても馬鹿にしていたかの、どちらかなのだろう。

どうも宣長は、新古今時代の日本人や定家の知覚世界・認識世界というものが、嫌いで嫌いでどうしようもなかったらしい。そうかと言って、彼は万葉・古今・江戸時代和歌のどれかに偏った人間だとまでは言えそうもなく、源氏物語をはじめとする「もののあはれ」の主唱者であったのだから、全く不可思議なものである。単に「和歌」というジャンルに疎かっただけなのだろうか。

当時は、山片蟠桃をはじめ、「こんな非合理的な和歌や俳句ばかりやっているから、日本の男は西洋人の男に追いつけないのだ」という風潮も出た時代であり、「ますらをぶり」という概念もこの時代に出た。もしかして宣長は、「もののあはれ」や「たをやめぶり」を密かに守らんとして、わざと共感覚が目立たぬように、「花の香り」と「霞む」とを切り離し、間に言葉を挟んで「梅が咲く山の月が霞んでいる」という平凡で無難な表現にしたにすぎないのだろうか。

石原正明や塚本邦雄が宣長を「狂気呼ばわり」したのは、まさに宣長が「過去に日本人が蓄積してきた茫漠とした象徴美や共感覚を和歌から取り去ろうとした」点ではなかったかと、僕は考えている。

もちろん、定家や塚本邦雄が和歌人・短歌人そのものであり、宣長はそれらを外から見る国学研究者であったという点で、宣長の歌人としての評価は言うまでもないとは言えるのかもしれない。しかし、全体として、宣長の国語観が反共感覚的なものであることは、その著作からも確かに感じられる。

僕が拙著で論じた「日本語の『にほふ』『にほひ』は、視覚と聴覚と嗅覚とが未分化の共感覚そのものを表した語であった」という私見も、ある意味では、遠回しの宣長批判であり得るのかもしれない。僕は宣長を「狂気の沙汰」とまで言う勇気はないけれど。

ちなみに、「春の夜に、目には見えないはずの梅の匂いが見え、それが月を曇らせ果てないまでも霞めている」という風景を詠んだ僕の歌を、いくつか挙げてみる。いつまで経っても定家に追いつける気がしない。定家の和歌は、日本語の魔術の一つの極致だと僕は思っている。

●春の月曇りも果てぬにほひまで霞む夜空の梅が香を聞く
(はるのつき くもりもはてぬ にほひまで かすむよぞらの うめがかをきく)
●春霞月も朧に曇りつつ咲き白む梅ににほふ大空
(はるがすみ つきもおぼろに くもりつつ さきしらむうめに にほふおおぞら)
●大空は曇りも果てず春の夜の月さへ霞むあはれ梅が香
(おおぞらは くもりもはてず はるのよの つきさへかすむ あはれうめがか)
●春の夜や曇らぬほどに白梅のにほひの霞大空に立つ
(はるのよや くもらぬほどに しらうめの にほひのかすみ おおぞらにたつ)
●空はなほ曇らで霞む梅が香や春の朧にかをる月影
(そらはなほ くもらでかすむ うめがかや はるのおぼろに かをるつきかげ)
●曇り果てず大空霞む朧月誰がかこつらむ梅のにほひに
(くもりはてず おおぞらかすむ おぼろづき たがかこつらむ うめのにほひに)
「曇り切らない大空が梅の匂いに霞んで、朧月も霞んでいるが、誰が梅の匂いに対して、月をはっきり見るためにそこを退けよと愚痴をこぼすことがあろうか」

●春の夜の袖の色香を梅に見て曇りも果てず霞む眦
(はるのよの そでのいろかを うめにみて くもりもはてず かすむまなじり)
●月影に袖を濡らさば春の夜の梅のにほひに空霞む頃
(つきかげに そでをぬらさば はるのよの うめのにほひに そらかすむころ)
●梅咲かばにほひに曇れ朧月袖宿る影の涙掠めて
(うめさかば にほひにくもれ おぼろづき そでやどるかげの なみだかすめて)
●霞みあへず月の色人ほの見えて空と袖とに残る梅が香
(かすみあへず つきのいろびと ほのみえて そらとそでとに のこるうめがか)
posted by 岩崎純一 at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 共感覚論