2015年04月16日

「将棋電王戦FINAL」の感想(「人間対将棋ソフト」のはずが「人間対人間の揉め事」に・・・)

 プロ棋士対コンピューター将棋ソフトの団体戦(5人対5ソフト)の最終回は、プロ棋士が3勝2敗で勝ち越した。

 ここに来て、ようやくプロ棋士たちがソフト慣れしてきたこともあるだろうし、今まで以上にソフト耐性の高い若手棋士が集められたこともあると思う。5対5の団体戦という形では、これが最終回で、次回からは別の形での「電王戦」となるようだ。

 私が贔屓している同い年の阿久津主税八段がソフト「AWAKE」に勝った一局は特に嬉しかったが、この一局を含めて、今回の電王戦については、その内容に賛否両論が噴出している。

 かなり色々な意見が出ているようだが、私もアマチュア中のアマチュアながら、普段から将棋の品性・品格にこだわる性格として、少し意見を書いてみたいと思う。



 第3局(稲葉陽七段 対 やねうら王)と第4局(村山慈明七段 対 Ponanza)は、真っ向勝負で戦って結果的にプロ棋士が負けたということで、いわゆる「将棋」という感じがしたし、棋譜にも特に「異様さ」は見られず、むしろ安心して見ていられた。プロが勝った第1局(斎藤慎太郎五段 対 Apery)についても、コンピューターらしい「ヘンな手」(いわゆる「思い出王手」のラッシュなど)はあったが、「将棋」という感じがあった。

 そもそも、ソフト開発者・プログラマーがよく言う「ある分野・能力ではコンピューターが人間を越える時代が来る」という言説は、その時代の到来の善悪や、人間とコンピューターの優劣の議論以前に、こういう状況(程よい共存共栄)のことを言っているはずで、そこから外れた場合(将棋ソフトの話題とは無関係に、主催者と将棋連盟・プロ棋士と将棋ソフト業界の間で道義上の争いが発生した場合)は、「それに関与した(その原因を作った)人間の物事の考え方・価値観」のほうが批判されるべきだと思うのだ。

 結局、「電王戦」や「将棋ソフト」や「コンピューターの未来」といった話題と全く関係のない「人間どうしの揉め事」になってしまったのが、第2局と第5局だったと思う。これらの対局と会見について、開発者への批判と永瀬六段・阿久津八段への批判の両方が飛び交っている。

 第2局(永瀬拓矢六段 対 Selene)では、Seleneが永瀬六段の「角不成」を認識できずに反則負けとなった。投了時点で、すでに永瀬六段が優勢だった。

 永瀬六段は、Seleneが「角不成」を認識できないことを事前研究において自力で発見していたようであるが、対局当日は、万が一(開発者がソフト改変禁止のルールを破って)「角不成」を認識できるようソフトを修正してきている可能性を考慮し、勝ちが見えたところでようやく「角不成」を指したのだと思う。

(対局後の記者会見での三浦弘行九段の説明によれば、角不成の前から99%以上永瀬六段の勝ちの局面であり、それをより100%に近づける勝ち方をするために、永瀬六段はソフトの不備を利用して角不成と指した、とのこと。)

 開発者の西海枝昌彦氏が、「角も成らないことがある」ことを開発段階でソフトに反映したはずがソフトが認識できなかったのならともかく、ソフトの他の部分での効率化のために「角不成」を最初からわざとソフトに組み込んでいなかったということだ。しかし、会見でソフトの不備について反省・謝罪し、プロ棋士を称えるコメントを発していたのは素晴らしかった。

 谷川浩司将棋連盟会長も、「角不成のことばかりが話題になってしまっていますけれども、永瀬六段のほうはきちんと勝ちを読みきった上での一手ですので、素晴らしい終盤の切れ味だったというふうに思います」と語っている。

 第5局(阿久津主税八段 対 AWAKE)では、阿久津八段がAWAKEに角を打たせてから捕獲する「2八角戦法」を指したことで、開始からわずか49分、たった21手でAWAKEが(というより開発者が)投了した。

 対局後の会見では、開発者の巨瀬亮一氏が不機嫌さをあらわにして、「アマチュアの方が指して既に知っているハメ形になって、それをプロが指してしまうというのは、(阿久津八段は)プロの存在意義を脅かすようなプロ棋士なんじゃないか」、「今回の対局のように一番悪い手を引き出して勝つのは、ソフトを使う上で何の意味もない使い方」と阿久津八段を批判した。

 一方の阿久津八段は、「素直にうれしいという感じではありませんが、とりあえず良かったと思います」、「普段はやらない形なので葛藤はありましたが、やはり団体戦で2勝2敗ということもあり、いちばん勝算の高い形を選ぶべきだと思いました」と語っている。

 谷川浩司会長は、直前の会見で「あまりにも早い投了に驚きました。開発者が元奨励会経験者としての矜持で投了を決断されたのだと思います。」と無難なコメントを出されていたが、巨瀬氏が不機嫌さをあらわにしてからは、この第5局にはほとんど触れなかった。

 電王戦においてプロ棋士とソフト開発者との間で雰囲気が悪いときの、谷川会長のなだめるようなバランスのとれたコメントや感覚は、毎度素晴らしいと思って見ている。それでも、少しは本音を出し、「ソフトの特性を詳細に研究し調べ尽くした成果だと思う」と阿久津八段を評価していた。

 永瀬拓矢六段も、「プロ五人は最高のパフォーマンスをしましたし、存在意義としても十分ある」と語った。残る三名の棋士も、基本的には阿久津八段を擁護した。

 さて、「相手の弱点を研究し、かつ将棋のルールは最大限に守って指す」ゲームが「将棋」である。「ソフトの弱点を突きつつ、将棋のルールは最大限に守って指した」永瀬六段と阿久津八段のゲームは「将棋」である。

 一方で、Seleneの開発者の西海枝氏は、最初からわざと「角不成」をソフトに組み込んでいなかったとのことだが、プロ棋士で相手の「角不成」を想定しない棋士などいないのだから、Selene(と西海枝氏)が指したものは「将棋」ではなく、両対極者は「将棋」という同じ土俵に立っていなかったと感じた。(永瀬六段が将棋を指し、Selene開発者がチェスなど他のルールで他のゲームをやっているようなものだった。)

 AWAKE(と巨瀬氏)は、「将棋」を指したと言えるかもしれないが、全面的に開発者の意志によって投了し、開発者がAWAKEに対しそれ以上阿久津八段を相手に指させることを拒否したのだから、「人間対人間」の一局であり、「電王戦」ではないと思う。

 それに、「2八角戦法」は、そもそも「ハメ手」ではなく、将棋ソフト全般に共通して見られる弱点で、「普通の戦法」であり、将棋ファンの間ではずっと以前から知られていた。その弱点を特にあからさまに持っているAWAKEをプロの阿久津八段が借りて練習したのだから、阿久津八段が気づくのも時間の問題だった。

 相手の弱点や最速最短の勝ち筋が見えているような状況で、わざとそれを避けて指すような細工をすることは、かえって相手に失礼に当たると思う。

 阿久津八段の事前の勉強ぶりについては、以下の記事が詳しい。

「電王戦FINAL第5局 観戦記 野月浩貴七段」(ニコニコニュース)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1548112

 それに、割と「普通の」将棋を指してPonanzaに負けた村山七段も、事前のインタビューでは、「見てるファンが賛否あるような指し方をするかもしれない」と予告していたし、相手が人間であろうとソフトであろうとその弱点を突くという姿勢は、決して阿久津八段だけのものではない。村山七段も、2011年と2012年に米長邦雄永世棋聖がボンクラーズを相手に2手目に指した6二玉のことをインタビュー中で挙げていたが、そもそもこの時から、将棋ソフトに対するプロ棋士の同様の姿勢は始まっていたのだった。

 重要なことは、「将棋」を指しているかどうか、「電王戦」になっているかどうか、「人間対ソフトの揉め事」になっているかどうかということのはずだと思う。しかし、実際は「人間対人間の揉め事」になってしまった。

 永瀬六段も阿久津八段も、ソフトの事前研究において、「角不成戦法」や「2八角(を打たせる)戦法」などの有力な戦法を自力で発見していたようであるが、それらは全て「相手の弱点を研究する」という「将棋」の基本的態度であって、残るのは「プロ棋士のプライド」の問題だけとなる。

 だから、永瀬六段が「角不成」の後にもしミスをして負けたとしても、それは立派な「将棋」であるし、阿久津八段があのハメ手の後に勝っても負けても、それは立派な「将棋」であるとしか言えないと思う。谷川会長の発言の通り、永瀬六段はすでに優勢のところに余裕を持って「角不成」を指したし、阿久津八段も「2八角」を打ってもらえなくても十分に指せた。

 それに対して、ソフト開発者が行うべきことは、相手のプロ棋士の棋譜研究や、ソフトに対する反則や悪手の教え込み(プログラミング)であるはずで、それを飛び越えてプロ棋士を批判する態度には、やはり大きな疑問を感じた。

 今回の電王戦では、プロ棋士たちは優秀な「デバッガ」であったと言えるのではないだろうか。ソフト開発者を個人的に批判することなく、ソフトを「新たな相手」として対等に認めて、淡々と弱点を突く手を指したのだから。

 プロ棋士は、勝っていても負けていても、「ソフトとソフト開発者から学んだことは多く、自分の将棋の未熟さも知ることができた。今後に生かしたい」という旨の発言を五人全員が発し、ソフト開発者と主催者を批判した棋士は一人もいなかった。

 一方で、何人かのソフト開発者の口からはプロ棋士批判と主催者批判が目立った。とりわけ、AWAKEの開発者は、阿久津八段やプロ棋士に対し、Seleneの開発者とは対極的な態度をとる結末となった。

 こう考えてみると、本当の「電王戦」とは、以下のようなものを言うのではないかと個人的には考えているし、次回の「電王戦」にはそれを期待したい。今回の「電王戦」もやはり、人間対コンピューターのルールを守ったゲームどころではなく、人間対人間のルール外での問題が多すぎたと思う。


●今後の電王戦で個人的に変更してほしいルール
(ソフトの挙動とソフト開発者の意志・プロ棋士への批判の切り分け)

◆意図的に将棋のルールをソフトに組み込んでいないことが判明した場合、出場停止とする。(「駒不成」のプログラミングの省略など)
 ただし、開発者がこれをプログラミングしたはずが、ソフトが認識できず反則手を指した場合、そのまま反則負けとするが、開発者の次回の出場権は保持される。

◆ソフトやマシン自身が投了に当たる動作(停止、バグ、暴走、反則、物理的故障など)を見せるまで、開発者は手出し口出しや投了をしてはならない。(開発者の恣意的な判断による投了の禁止。これを反則とする。)

◆開発者の恣意的な判断を対局から遠ざけ、ソフト自身による投了を促すため、開発者が投了のアルゴリズム・プログラムをソフトに組み込む期間(数ヶ月〜数年)を定め、この間に組み込むことができなかったソフトは出場権を得られないものとする。


● 将棋電王戦(niconico)のYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/denou


●電王戦関連ニュース

◆「将棋電王戦FINAL」第5局は阿久津八段の勝利(日本将棋連盟)
http://www.shogi.or.jp/topics/event/2015/04/final5.html
◆将棋ソフトにプロが初の勝ち越し 阿久津八段が面目保つ(産経ニュース)
http://www.sankei.com/life/news/150411/lif1504110023-n1.html
◆将棋:電王戦棋士側勝利呼んだ「わざと隙見せる作戦」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20150412k0000m040087000c.html
◆谷川会長「ほっとしている」 電王戦、棋士初の勝ち越し ソフトの弱点突く(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFG11H2O_R10C15A4000000/


●【意識調査】電王戦FINAL第5戦、「ハメ手」でのプロ棋士勝利をどう思う?
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/other/15702/result
タグ:将棋
posted by 岩崎純一 at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話

2015年03月10日

将棋NHK杯で久々の二歩発生!

 9日のNHK杯テレビ将棋トーナメントで久々にプロ棋士の二歩を見た。

 二歩をしたのは、「羽生さん? 強いよね!」のモノマネインタビューで有名な橋本崇載八段。先に二歩に気づいて頭を抱えたのは、相手の行方尚史八段。その直後に橋本八段も気づいて頭を抱えた。映像では、どちらかというと行方八段のほうが仰天している様子で、「こんなことで勝って申し訳ない」という表情でさえあった。

 プロ棋士も人間なので、二歩、王手放置、角の筋違い、などの反則負けがあるが、アマの私はもちろん一通りしでかした。でも、糸谷竜王のように、取った駒をなぜか相手の駒台に置く、一手目で駒を取り二手連続で指す、などはさすがにやったことはない。

 物事を突き詰めて考えすぎると空間の上下左右が分からなくなるパニック障害や不安障害の方々はけっこういらっしゃるのだが、おそらく糸谷竜王に発生した心境もこれらに似ており、頭を使いすぎて、一瞬、どちらが自分の駒台なのか、今指したのが自分なのか相手なのかが本当に分からなくなったのだと思う。

 ただしネット将棋では、ほとんどの場合、二歩が打てないなど反則そのものができない仕様になっているから、反則の不安感やスリルはない。

 私が指したことのあるネット将棋サイトの中では、「81道場」だけが「反則ができる」仕様で、私も「81道場」では二歩をやらかしたことがある。打った瞬間、「ほわわわわーん」という残念なサウンドが鳴るので、なんだか非常に自分が情けなくなる作りだが、それはそれで面白い。

 それにしても、今回も橋本八段が「すみません」と謝ったのはすばらしい光景だった。

 基本的にプロ棋士もアマも、意図的ではないにせよ、反則をしたら相手に謝罪すべきだと私も思っているし、私もネット将棋で反則をしたときにはチャットで謝った。過去のプロ棋士の反則の映像を見ても、性格による口調の差はあるものの、多くの棋士がすぐに「申し訳ありません」、「失礼しました」と謝っている。

 負けを悔しがるより前に、二歩をしてでも相手の駒を不当に攻撃した自分を恥じて謝罪するという姿勢も、将棋という文化が受け継いでいくべき美徳だと考えている。
タグ:将棋
posted by 岩崎純一 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話

2015年03月08日

3月14日の鉄道路線の開業・廃止とダイヤ改正に伴う個人的メモ

目次
■実はかなりの一大事
■上野東京ライン開業
■京浜東北線vs山手線の「並走ごっこ遊び」と「出会いと別れ遊び」は3月14日以降も健在か!?
■湘南新宿ラインも頑張れ
■「北斗星(最後のブルートレイン)」、「トワイライトエクスプレス」、「北越」などの廃止
■北陸新幹線開業
■おまけ(路線の複雑化と高齢化社会)
■おまけ(共感覚で覚えるべき路線が増えるのは嬉しい)
【画像出典】



■実はかなりの一大事

 私は今は東京都民だから、東京都内の鉄道事情ばかり見てしまっていますが、少し調べた限りでも、今年の3月14日は全国的に、路線の開業・改編・廃止、列車の開業・廃止、駅の開業・廃止、SuicaなどのICカードの導入などが合わせて100件以上は行われる見通しのようです。

 全部挙げているとキリがないので、自分に関係するところだけ(思い入れが深いところだけ)をピックアップ。


UenotokyoLineLogo_Olignal.png■上野東京ライン開業

 石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』の冒頭に「上野発の夜行列車おりたときから」とあるように、基本的に近代日本の鉄道網整備以降、東北への玄関口は上野駅と決まっていたわけですが、今になってようやく上野駅以北(東北本線・宇都宮線・高崎線・常磐線)から東京駅以南(東海道本線)への直通運転が開始されることになりますね。

 これまでにも、一部の東北本線(宇都宮線・高崎線)や常磐線は上野・東京間を走ってはいましたが、あくまでも臨時の扱いでしたし、上野東京ラインは新たに敷設された高架橋を走ります。

 と大げさに書いてみましたが、東北大震災の影響もあって2年ほど開業が遅れた模様です。

 利用頻度の高い自分のためにも、今一度、最も複雑な区間について確認しておきたいと思います。
(【3月15日の追記】上野・東京間は、JR東日本のYouTube公式チャンネルに動画が挙がっていましたので、動画の該当部分をそれぞれ追記しました。)



◆動画よりも手前
 まず、日暮里駅付近で京浜東北線・山手線と東北本線(宇都宮線・高崎線)・常磐線(後者の二路線の一部が「上野東京ライン」)とが合流・並走。
 ↓
◆動画よりも手前
 一部の東北本線と常磐線(主に特急)が鶯谷駅・上野駅にかけて地下に潜り、東北新幹線も地下に合流。
 ↓
◆動画の0:00〜2:00
 地上に上野東京ライン・京浜東北線・山手線・多くの東北本線と常磐線、地下に東北新幹線・一部の東北本線と常磐線(主に特急)が位置している状態。すぐに地面が下がり、御徒町駅にかけて前者が高架となる。
 ↓
◆動画の2:00〜2:50
 御徒町駅・秋葉原駅間にある電留線(動画の2:05〜2:30で左に見える)の地下から再び東北新幹線が左を駆け上がる(動画の2:30〜2:50にかけて)
(ここではまだ上野東京ライン・京浜東北線・山手線のホームだけが高架で、東北新幹線を左に見下ろす。)
 ↓
◆動画の2:40〜3:00
 さらに、秋葉原駅から神田駅にかけて上野東京ラインが東北新幹線の真横右を駆け上がり、やがて右から覆い被さる。
(ここで上野東京ラインが最上層、東北新幹線がその直下、京浜東北線・山手線・中央線・総武線の神田駅が最下層になる。)
 ↓
◆動画の3:25〜3:45
 再び上野東京ラインが真ん中に駆け下りてきて、東北新幹線の真横右下まで下がる。京浜東北線と山手線はもっと右下に下がる。
 ↓
◆動画の3:43
 この瞬間は、上野東京ラインだけが首都高で頭を打ちそうになる。
(設計がギリギリ。ここをギリギリにしないために数百メートル前から早めに高架を下げ始めることは、直下に東北新幹線がめり込んだ状態で、かつ新幹線の右下にも京浜東北線・山手線が通っているので、できない。)
 ↓
◆動画の3:45〜最後
 最上層から東北新幹線、上野東京ライン、京浜東北線(南行)、山手線(外回り)、山手線(内回り)、京浜東北線(北行)の順に階段状に東京駅に入る。中央線は、これらよりも高いところに入る。

 結果的に、全ての路線がDNAの螺旋構造のように、上下左右に合流と離脱、高架部分と地下部分とを繰り返しながら、基本的には並走するわけで、これまでは、通勤・通学ラッシュの時間帯以外の日中は「京浜東北線が山手線(各駅停車)の快速」という役割を担っていて、「この両線は東京のものだから、東北へ行くなら上野駅を使ってね」という雰囲気だったのが、これからは、「東北新幹線が上野東京ラインの特急、上野東京ラインが京浜東北線の急行、京浜東北線が山手線の快速」という多重構造になるわけです。京浜東北線の快速(日中)の停車駅も増えるようです(神田駅、土日の御徒町駅)。

 このように、光景としてはかなりカッコよいと思うのですが、ものすごいゴチャゴチャ具合と高々架橋ですから、結局、これらの路線を最短最速でうまく乗りこなせるのは頭を使うことをいとわない乗客だし、周辺住民の騒音や日照権の問題も片付いていないらしく、一悶着ありそうですね。私のような、外から来た元東京都外民としても注目したいところです。


■京浜東北線vs山手線の「並走ごっこ遊び」と「出会いと別れ遊び」は3月14日以降も健在か!?

 以下は、私が勝手に考えた「一人遊び」です。

 田端駅─品川駅間では、通勤・通学ラッシュの時間帯(京浜東北線が快速化するまで)には京浜東北線と山手線が全く同じ駅に停車するので、両線の混み具合(乗降客数)がほぼ一致していて、かつイレギュラーの駆け込み乗車などがない場合には、田端駅から品川駅までほぼ寸分の狂いもなく両線の列車が並走することがあります。上り線と下り線はそれぞれがセットになっているので、文字通り約1メートル隣どうしの並走です。(厳密には、東京駅を挟んで運行されているので、「上り」・「下り」ではなく「北行」・「南行」と呼ばれていますが。)

 運転士は別に「ごっこ遊び」をしているわけではなく、マニュアル通りに安全運転をしているわけですが、この光景を見るだけで気分が安らぎます。

 うまく並走すれば、田端駅の直前と品川駅の直後で、京浜東北線と山手線の出会いと別れを見ることができます。

 もう一つの「出会いと別れ遊び」は、山手線を外回りか内回りで約半周回った場合に、乗車した駅で逆方向に出発した山手線と再会できるか、あるいはどの場所で再会できるかという「一人遊び」です。わざわざそのために乗ったりはしませんが、何かのついでに眺めて遊んでいます。再会場所がほとんどのケースでほんの数十メートル以内に収まっており、電柱や高架の支柱まで特定できる完璧なダイヤの環状線を有する国は、日本だけだと思います。

 厳密には、ラッシュの時間帯には、山手線本線上に一度に走行している本数が、外回りは25本、内回りは24本のようですが、日中はどちらもそろえて18本前後であるのに、やはり当然内回りのほうが距離が短く、回転が速いことから、外回りと内回りとで再会のタイミングが微妙に異なります。

 基本的に、先頭車両の正面に書いてある車両番号はすれ違い時には読めないことが多く、車両横に書いてある「モハ」といった表記では区別できないので、減速時に読むか、運転士や車掌の容貌で判断することが多いです。


■湘南新宿ラインも頑張れ

 あと気になるところと言えば、湘南新宿ラインとの関係ですが、いかんせん、埼京線の板橋駅と十条駅がいまだに通過禁止駅(回送・臨時列車などを含む全ての列車が一時停止しなければならない指定駅)で、湘南新宿ラインも、停車を回避するために事実上「田端駅方面大回りライン」となっているので、埼玉から湘南方面への移動にも上野東京ラインが多用されるかもしれませんね。


1024px-EF510-501_hokutosei.JPG■「北斗星(最後のブルートレイン)」、「トワイライトエクスプレス」、「北越」などの廃止

 3月14日のもう一つの大きな出来事としては、ブルートレインやトワイライトエクスプレスの廃止があります。

 ここ一ヶ月は、上記の上野東京ラインの開業前の線内を、乗客が一人もいない「北斗星」が寂しそうに行ったり来たりしており、撤収作業が続けられています。ブルートレインには一度しか乗ったことがないのに、「寂しそうに」と擬人化してそれらしく書いてしまいましたが。

 かえってこれだけ頻繁に「北斗星」を見られる機会もないと思いますが、昨日、私が乗っていた京浜東北線や山手線の乗客の車両の中で、スマホや本から目を離して車窓から外を並走する「北斗星」を眺めた人は、私と、前の方にいた老人一名のみ(苦笑)。

 結局、我々がブルートレインやトワイライトエクスプレスを必要としなくなったから、廃止されるわけで、誰も乗らないものを感傷的な追憶のためだけに走らせる余裕は鉄道事業者にもないでしょうね。廃止は仕方がないところです。


■北陸新幹線開業

 これももちろんおめでたいことではあるのですが、個人的には全く利用予定がないので、まだ臨場感に欠けるところです。今のところ身近な東京都民で開通を喜んでいるのが軽井沢や妙高や小松に別荘を持つ別の世界の方々のみだということも影響していますが、おそらく北陸の人たちの声を聞けば、全く異なる意見であるに違いありません。

 加賀や越前、越中の文化と東京首都圏の文化が直結することは、それはそれで非常によいことだと思います。


■おまけ(路線の複雑化と高齢化社会)

 時々、「お前が京浜東北線の快速は神田に止まるといったから乗ったんだ!」、「いいえ、私は言ってません!」といった類の高齢者夫婦による鉄道関連の大喧嘩に出会います。

 しかも、大ゲンカ中の見ず知らずの高齢者夫婦から、なぜか私が適任の仲裁者か救世主にでも見えるのか、スタスタとそばを通り過ぎようとしているところを、よく呼び止められて道を聞かれます。イジワルで「ご主人は東京へ、奥様は上野へどうぞ」と答えようかと思いつつ、それはさすがにイジワルすぎるので、丁寧に答えますが。

 個人的には、身の回りの鉄道情勢(路線の高度な変遷や複雑化・自動システム化だけに限らず、小さな最寄り駅やそのそばの商店街、人情の機微の変化なども含む)にだけでも、まだ心身共に元気なうちから追いついて行くことは、ボケや認知症、イライラ感情の予防や多くの「笑顔の創出」にもなるのではないかと思うのですが、高齢者の方々の皆が皆そう思っているわけではないようだし、今回の上野東京ラインの開業も、上記の通りの複雑化を伴うので、高齢者がいっそう面倒くさがり、こういった夫婦喧嘩の光景や、自ら多少の路線やダイヤの把握の努力をする前に駅員にどなりまくる光景に出会う機会も増えるのではないかという点は、心配です。

 そういう意味では、昨今の鉄道網の複雑化・高度化は、パソコンやスマホのそれらに似ているなと思います。私の中では少なくとも、鉄道網の変遷・鉄道情勢と人間の性質そのものの変異や少子高齢化社会・格差社会への危機感とは、かなり密接に結びついてしまっています。

 いずれにせよ、日本の鉄道事業者が有する技術やダイヤ運行の世界稀に見る完璧さには、常々感謝すべきだと思っています。


■おまけ(共感覚で覚えるべき路線が増えるのは嬉しい)

 全く違う話題を書きますが・・・。

 今のところ、共感覚のページに載せている鉄道関連の共感覚の例は、挙げるとキリがないので、東京メトロ(とりわけ丸ノ内線)だけですが、鉄道網が複雑化するたびに、それだけ自分の共感覚による色彩や空間認識の変遷を楽しめるというのは、共感覚者に与えられた幸せかもしれないと思っています。

「知覚・共感覚」のページ
http://iwasakijunichi.net/synaesthesia/


【画像出典】
上野東京ライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
北斗星 (列車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%97%E6%98%9F_%28%E5%88%97%E8%BB%8A%29
posted by 岩崎純一 at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話

2015年02月08日

「電王戦×TOYOTA リアル車将棋」の感想

 Twitterにもすでに感想を書いたが、三時間ほど前にやっと車将棋の中継が終わった。私は中盤後半・終盤入り口あたりから見た。

 西武ドームを借り切って巨大将棋盤を設置し、トヨタの新旧の車を駒に見立てて動かすというイベント。巨大な駒が車のルーフに取り付けてある。10時45分に対局開始。

 対局棋士は羽生善治名人と豊島将之七段。持ち時間は四時間で、切れ負け制。両棋士が指し手を指示するたびにドライバーの皆さんも車も必死に走り回っていたのが大変そうだったが、絵としてはかなり壮観だった。

 この「車将棋」は、棋士や将棋愛好家なら一度は思いつきそうなものだし、過去にもどこかで行われたかもしれないが(チェスではすでにこういうイベントがあるようだ)、主催ではないものの日本将棋連盟が関係する公式の試みとしては、初めてだろうと思う。

 駒が成るときには、普通はスタッフが走って脚立を持ってきて上り、巨大駒のボードを剥がし、あらかじめ下に書いてある成り駒の表記を出していたが、なぜか「と金」のときだけは、歩のヴィッツが去って「と金」のヴィッツG'sが控え場所から出てくるという大移動。しかも、直後に「と金」が玉に取られてまた去っていくという、かなり面白い展開だった。

 少し残念だったのが、棋士自身は車の巨大駒を見て指していないという点。両棋士が見るそれぞれの盤、サポート棋士の盤、大盤解説の盤、そして車が実際に動き回る巨大ドーム将棋盤は、全て異なるものだった。棋士とスタッフが観客席の対極に座り、車に指示を出すようなスタイルであれば、本当の車将棋になるのかもしれないが、本業である将棋と遊びとしてのイベントの境目が曖昧になるし、羽生名人と豊島七段というブランド性から考えると、そういうスタイルはやや理想的すぎるかとも思った。

 最後に初手からの解説があったが、豊島七段の角成りが意図的なのかポカなのかがよく分からなかった。というのが、よくある祭やイベントでの人間将棋は、プロ棋士が指すわけではないし、最初からシナリオ・勝ち負けが決まっていることが多いわけだが、今日はお互いに途中までは真剣勝負で、力が拮抗していたのに、終盤でわざと負けに持っていくような謎の角成りがあり、「イベントであることを踏まえた阿吽の呼吸」と言うにはあまりにも分かりやすい「わざとらしさ」だったので、逆に単なる「ポカ」の可能性もあると思い、結局分からなかったわけである。

 しかし、それよりも今日の将棋は「車」と「豪華解説陣」をメインに楽しく見ていたので、棋譜があまり良くなくても気にはならなかった。中でも、糸谷哲郎竜王のまじめなスイーツレポが気に入った。

 ポカと言えば、この前の王将戦第2局の郷田九段の最後の一手。やはり、棋士も人間なのだった。

 次回はトヨタvs日産などで見てみたい。歩はカローラとブルーバードで。と思ったが、持将棋にならない限り、どちらかのメーカーが負けになるわけで、いらぬ事情が発生するため、実現は難しそうだ。

 日産ファンの私としては、旧日産車vs新日産車で見てみたい。


「電王戦×TOYOTA リアル車将棋」公式サイト
http://ex.nicovideo.jp/denou/kurumashogi/
タグ:自動車 将棋
posted by 岩崎純一 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話

2015年01月05日

将棋三昧の年末年始

 この年末年始は、一言で言えば将棋三昧の年末年始だった。指すほうもテレビで見るほうも。「三昧」と書くと一日中こればかりやっていたような書き方だが、日本の正月らしい個人的イベントとしては、雑煮を食べるなど以外には、書き初めやカルタ取りなどはせずに将棋くらいしかしていないという意味である。

 見るほうでは、タイトル戦(王位戦・王座戦・竜王戦)やNHK杯の対局の数々、「第40回将棋の日 in 秋田」、「新春お好み将棋対局 〜女流棋士壮絶バトル〜」を見た。

 羽生善治四冠が数年に一度の覚醒期に入っているので、しばらくは誰もその勢いを止められそうになく、再び五冠か六冠に返り咲くのは間違いないと思うが、そんな中、哲学を専攻する学生でもある糸谷哲郎新竜王の誕生は素晴らしかった。

 もちろん、高橋道雄九段が「相手(の森内俊之九段)に失礼だ」と述べた「2三歩問題」などのように、やや態度が荒いところも確かに見受けられるものの、そのあたりさえ磨かれれば、より素晴らしい棋士になると思う。竜王戦に限らず、今年度勝率が3割代に落ち込んでスランプに入っているはずの森内九段の貫禄のある姿勢には、成績にかかわらず大きな感動があったし、棋士・人間の格の高さというのは棋力を超えたもの、一種の哲人性・霊性のようなもののことを言うのだということは、改めて感じた。

「第40回将棋の日 in 秋田」のリレー将棋では、最後の詰みがあっけなかった気がしたが、島朗九段の面白い解説が見られたのがよかった。

「新春お好み将棋対局」のトーナメントでは、清水市代女流六段が早々に負けて棋譜読み上げに回っていたのがなかなか不思議な光景だったが、腐らず丁寧に読み上げていて感じがよかった。NHK杯のテレビ解説での姿勢や言動について、間が悪いとか無表情すぎるとか色々言われているが、最近はそこまで悪くないと思う。

(かくいう私も、以前よりNHK杯での清水女流六段の間の取り方や解説しているプロ棋士への態度に危うさや不安を覚えていて、誰かがすでにネットで言及しているはずだと思って昨年にネット検索したところ、案の定まとめサイトなどを発見した人間である・・・。)

 優勝は、フリーで初代LPSA代表理事の中井広恵女流六段。現LPSAからは渡部愛初段も出ていたが、女流棋士の皆さんを見ていていつも考えるのは、連盟とLPSAとの微妙な関係のことばかりである。米長会長から谷川会長になっただけでも随分状況が変わると思ったし、実際に一度はいざこざが収束しかけたわけだけれども・・・。

 今回も、よくよく見てみればタイトルの通り、連盟の女流棋士 vs LPSAの女流棋士という女性同士の壮絶バトルだったわけだ。こういう仲違いは、一度始まったらなかなか収まらないのが人の世の常ということだと思う。

 指すほうは、対面でもネットでも指したので、内容的なバランスはとれているとは思う。ただ、将棋ばかりしすぎて無駄な疲労が溜まったというか、指し終えてみると、指す意味のない無謀な将棋も多々あった気がしているので、もっと丁寧で有意義な将棋が指せるようになりたいと思う。

 対面対戦(特定の知人とのネット対戦を含む)では、自分が駒落ち(上手)で、一枚落ち(飛)、二枚落ち(飛角)、三枚落ち(飛両香)など色々と工夫しているが、私の場合、感覚的にも統計的にも飛角落ちよりも飛両香落ちのほうが勝てていない状態だ。つまり、両方の香車がないくらいなら両方の大駒がないほうが勝率がよい。これは、矢倉に組みきらずに(玉を囲いきらずに)中住まい気味にしたままで指す自分の棋風を示してもいると思う。

 ネット将棋の世界は、相変わらずそんじょそこらの将棋道場よりもレベルがべらぼうに高く、インフレ状態が続いていて、81道場の段級位は町道場よりも一つか二つ高いくらいだが、将棋倶楽部24では5級〜10級もあれば町道場では余裕で初段・二段認定されるレベルだ。24で7・8級もあれば、職場や学校のクラスや近所では無敵状態と思ってほぼ間違いない。

 私も、最近は24では指していないが、5・6級で負け越していたときでさえ、家族や知人との対面対戦では無敵状態で、先述の駒落ち戦の全てで勝ち越し(というより勝率8〜9割)だった。でも、81道場や24ではコテンパンにされる。どう見てもプロ棋士やアマ高段者の練習場と化しているとしか思えない。

 将棋ウォーズでも指したことがあるが、こちらは文化としての将棋というよりは若者向けゲームとしての将棋を重視した体裁で、「棋神」という自動で五手を指してくれる将棋の神を降ろせる機能があるなど、どうにも将棋に集中できないので、すぐにやめてしまった。しかし、将棋連盟公認であるのは(しかも、金を払えばゲーム内の段級位で公式免状がもらえるのは)、将棋倶楽部24と将棋ウォーズであるという、よく分からないシステムになっていて、81道場は連盟から単に後援されるにとどまっている。

 私のもう一つの大きな趣味であるF1でも「金でシートが買える」状況だが、将棋でも「金で段級位が買える」状況なのは残念に思っている。

 プロ(四段以上)と奨励会以外のアマチュア段級位・町道場の段級位は、かなりデタラメだと思って間違いない(ある町道場の3級が隣の町道場では二段だったりする)状況なので、それを知らずに喜んで金で免状を買う人以外には何の関係もないかもしれないが、それにしてもいまいちよく分からないシステムである。

 おまけだが、気軽に友達と遊びで将棋を指すなら、SDIN無料ゲームのサイトがおすすめである。

 私はチェスもやるのだが(勝率も将棋とほぼ同じなのだが)、自分の感覚に合っているのはやはり将棋の方だとは思う。でも、チェスも楽しいゲームだし(欧米では、スポーツ扱いでもあり、芸術扱いでもあり、知の頂点扱いでもあるし)、羽生四冠と元チェス世界王者ガルリ・カスパロフ氏との対戦にも大いに感動した。

 将棋でもチェスでも、その棋士・人間としての佇まいでも、長年日本のトップの座を譲らない羽生四冠には敬服するし、糸谷新竜王に挑戦して再び竜王位に返り咲き、永世七冠となられるのを期待してしまう。
タグ:チェス 将棋
posted by 岩崎純一 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話

2014年09月09日

テニスの話(錦織圭選手の準優勝、グリップやフォームの話など)

 私は球技と言えばテニスしかできないというくらい、テニスばかりやっていましたが、日本人で四大大会の決勝に行ける選手が現れるとは思っていなかったですね。素晴らしいです。当時(中高大時代)は、サンプラスやアガシの全盛期で、私はサンプラスが好きでしたし、周囲との会話でも大抵のテニスの話の最初はサンプラスの話題、その次にマイケル・チャンやラフターやクエルテン、その次にやっと松岡修造の話題が出るという状況だったので、たったの十年で時代は変わるものだなと思いました。

 そうは言っても、判官贔屓の私は、偶然街で見かけた鈴木貴男選手に思い切って声をかけ、テニスをやっていて鈴木選手にも憧れていることを伝え、サインをもらったことがあり(気さくな人でした)、それ以来、松岡修造だけでなく、それ以外の努力型の日本人選手の活躍ももっと追うようになったものです。

 今となっては、松岡修造は、テニスとは全然関係ないプラス思考の叫びで、お茶の間で人気ですが。叫びを聞いた後で、サンプラスから1セットを奪取した伝説の熱戦の映像を見ると、ギャップに笑いますが、今の活動はこれはこれで良いと思います。

 世代は変わって、ヒューイットやロディック、そしてフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーなどの時代になっていくわけですが、そこにマイケル・チャンコーチと錦織圭という身長の低い東洋人ペアが加わったことは大きいですね。

 さて、テニスの技術的なことでも色々と思い出しますが、十年前までは、まだウエスタン・グリップやオープンスタンスを嫌う風潮が(特に日本で根強く)残っていたし、私の高校でも「ウエスタンで握るヤツはダメ。オープンスタンスもダメ。」という主義でグリップやフォームを矯正させようとするコーチがいたわけです。私も、「徐々にイースタンに戻せ」と言われてきた世代です。当時のコーチ陣は、全員がイースタングリップでクローズドでした。

 しかし、世界では、サンプラスどころか、マッケンローやベッカーの時代から、ウエスタンやオープンスタンス全盛になっていく気配はあったわけですからね。私も結局、グリップもフォームも変えませんでした。

 私などは、かなり厚いウエスタン(エクストリームウエスタングリップ)かつオープンスタンスで、基本的にサーブ(ほぼ全部がトップスピンサーブ)の直後に次のワンストローク(レシーブのリターン)を打つ前にグリップを変える(つまり、イースタンまたはコンチネンタルからエクストリームウエスタンに持ち変える)人なので、ストロークの際に、リーチが短くなる代わりに打点を前にしてトップスピンさせる、というタイプです。

 だから、大まかに見て、私のようなグリップとフォームは、サンプラスの時代に一番近いですが、それ以来、「ウエスタン化」の勢いは多少は鈍化しており、錦織圭選手をはじめ今の時代のグリップは、サンプラス時代と比べても極端なウエスタンというわけではないですね。

 それでも、トップスピンサーブを打った面の裏面で直後のフォアハンドやほとんどのフォアハンドを打つケースは増えているので(サーブのリリースをそのまま自然に次のストロークに使えるので、私もしばしばやっていた)、今でもウエスタン化が進んでいるとは言えそうです。
(イースタングリップやセミウエスタンの人は、ほぼ100%と言っていいほど、サーブとフォアを打つ面が同じで、バックを打つ面だけが違います。)

 もちろん、錦織やナダルがエクストリームウエスタン気味の厚いグリップである一方、フェデラーはセミウエスタン気味の薄いグリップであるなど、個人差はありますが。

 昨今は、そういったグリップやフォームの問題よりも、サーフェス(芝生、ハード、クレー)の得手不得手のほうが問題になる時代なのかもしれません。サンプラスもクレーが苦手ではありましたが、全仏(クレー)でナダルにほとんど勝てないフェデラーやジョコビッチのような苦手意識というほどではなかった気がします。

 グリップやフォームの革新的な変化は、今後テニスではあまり起こらないのではないかと思いますが、単なる個人的な見解なので、また十年経てばどんなことになっているかは分かりません。

 そういえば、突然話は変わりますが、テニスと言えば、どうして「大学生の男女交遊・飲みサークル」の表看板に「テニスサークル(テニサー)」が使われるのでしょうね。大学のサークルで、バレーボールやサッカーのサークルでふざけたものはあまり見たことがないですが、テニスサークルはふざけたもののほうが多い印象です。

 実態はまさに「男女交遊・飲みサークル」で、ラケットもボールも持っていかず、テニスコートに行く代わりに酒場に行くサークルもありますね。十年前でさえ、東大男子と東大女子しか入れない東大のテニスサークルは4つだけで、私はその一つに入っていたのですが、それ以外の何十とあるテニスサークルは、「東大男子と他の女子大生」というものばかりでした。それを同じように大学が公認しているのですから、実にふざけた話ですね。

 これだけ「一気飲みで学生が死亡」のニュースが流れているのに、まだ一気飲みをやめようとしないのは、学生にもなって全くニュースを見ていないか、いじめ自殺とはまた別種の自殺願望・希死念慮があるのだと見なして、大学側もそういう学生とその親を見放せばよいと思います。

 つい先日も、明大と日本女子大のインカレテニスサークルメンバーらが新宿の路上で集団昏倒していたのがニュースで報道されていました。誠に恥ずかしいですね。「テニスを」やっていた人なら分かると思いますが、ラケットへの愛着やガットの網目を指で直す感覚などは、人生の宝物であるわけで、ふざけた男女がラケットを無駄に使って、あとは放置しているかと思うと、実に憤りを感じますね。大学側もこういうふざけたサークルはどんどんつぶしていくべきだと思います。

 こういったサークルで遊びほうけている男女と、今回の錦織圭選手とを比べてみれば、どちらが技術面でも精神面でも将来性のある若者であるかは一目瞭然ですね。

 最後は余計な話になりましたが、ともかく錦織圭選手の活躍を見て、祝福の気持ちが湧いてきたとともに、自分のテニスの青春を思い出しました。
タグ:テニス
posted by 岩崎純一 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味の話