2017年01月08日

2016年末の一斉送信メールの転載

2016年12月11日

以下の皆様各位
(岩崎純一のウェブサイトのご訪問者・閲覧者・ご相談者、共感覚実験などでご協力いただいた方々、勉強会・交流会関係の方々)

拝啓 師走の候、ご多用の中失礼いたします。
 平素は大変お世話になっております。ご無沙汰しております。
 およそ半数ほどの方々には、半年から一年ぶりのご連絡となっており、大変ご迷惑をおかけしております。申し訳ございません。

 さて、共感覚や直観像記憶(映像記憶)、発達障害、サヴァン症候群など、人間の知覚・感性全般への関心からスタートした「岩崎純一のウェブサイト・ブログ」も、現在では様々な分野を扱う場となり、大学に招聘いただいて講義を行うなど、活動は教育現場にも広がってまいりました。
 一方で、サイトへのご訪問者・閲覧者を集めて開催する勉強会・交流会は、実施が滞っており、申し訳ございません。

 下方に、本年2016年の各分野での活動や動向を記しておきましたので、ご参照いただければと存じます。

敬具

岩崎純一

●岩崎純一のウェブサイト
http://iwasakijunichi.net/
●岩崎純一学術研究所
http://iwasakijunichi.jpn.org/
●メールアドレス
iwasaki-j@iwasakijunichi.net

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◆【共感覚関連の動向】

 本年は、私の共感覚関連活動があまり振るわなかったのみならず、500名の被験者を募集していた日本共感覚協会(東大の松田英子氏主催)のサイトが閉じられるなど、日本の共感覚界全体としての転機の年だったようです。
 ただし、研究者の共著である『共感覚から見えるもの』(北村紗衣編、勉誠出版)が出版されたことは、有意義でした。
 2015年に引き続き、日大芸術学部などの芸術系大学・学部から共感覚で卒論を書く学生が出たほか、日大の文芸学科の山下聖美先生など、本著の著者とも大いに交流させていただきました。

 私自身は昨今、数名の仲間と共に日本共感覚研究会(名称は協会と似ているものの、別団体)として、共感覚研究そのものよりも共感覚者や研究者の動向を追うことを主眼としておりますが、ここ数年間は、危険ドラッグや大麻、コカイン、MDMA、覚せい剤などを服用している共感覚者を発見することが増えております。
 私自身の関心も、共感覚や発達障害の自然科学的研究よりは、危機感から日本の社会・教育・時代の現状の是正へと移っており、共感覚探偵と化しております。
 今年、女性セブンからのインタビューを受けたのも、子育てをする母親への啓蒙のためです。(バックナンバーから購入可能です。)

 2020年の東京オリンピックなど、日本全体で盛り上がりの機運を高める必要性があるためか、政府や学術団体の文化事業の一つに「共感覚イノベーション」事業が含まれるなど、今後はグローバルな商業ベースや日本の国益に直結するような共感覚ビジネスや感性関連事業が発展していくものと思われます。いわゆる「IR推進法案」も衆院で可決され、成立する見通しで、カジノ産業・ギャンブル産業とも重なっていくのでしょう。

 ただし、大麻などの一部の薬物が合法化されている欧米の国や州では、当然、日本ではできない薬物共感覚実験が可能であり、最も日本の法令から遠い価値観を持つのがオランダです。
 芸能人の違法薬物関連犯罪は、大々的に報道されますが、共感覚と違法薬物の結びつきも、当然こういった薬物ブームと連動しております。
 今年も、元野球選手の清原和博やミュージシャンのASKAなど、スポーツ選手・芸能人・文化人が逮捕され、そのたびに、当サイト宛てに共感覚と覚せい剤などの違法薬物との関連に関する賛否両論のお問い合わせがあり、私としても危機感を持っているところです。

●日本共感覚研究会
http://iwasakijunichi.net/jssg/

●知覚・共感覚のページ
http://iwasakijunichi.net/synaesthesia/

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◆【その他の知覚関連の内容(超音波知覚など)】

 超音波知覚については今年、産業技術総合研究所(AIST)に出向いて、超音波知覚者コミュニティ東京でのフィールドワーク活動を報告し、妄想性の共感覚や統合失調症の幻覚との区別が理解されるなど、有意義な年となりました。
 共感覚者や発達障害者が皆超音波知覚者とは限りませんが、今後とも以下のコミュニティのマップを中心に更新し、消費者庁や公正取引委員会などに調査結果を報告してまいります。

 また、何軒かの個人宅から、隣人の庭先の猫除け超音波装置などによる睡眠妨害などのご相談を受けております。
 こちらにつきましては、公共施設・商業施設などの装置についての調査よりも対応が遅れてしまうことをご理解いただき、お待ちいただいている状況です。

●超音波知覚者コミュニティ東京
http://iwasakijunichi.net/choonpa/

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◆【岡山県の陸軍部隊の調査】

 共感覚や発達障害、精神病理学などに関連して、一見関連のない岡山の郷土部隊の研究が進んだ年でもありました。
 私の親族・知人には、共感覚者、アスペルガー症候群傾向の人間や軍人関係者が多く、陸軍将校であった祖父や近衛兵であった曾祖父に見られる戦争神経症をはじめとして、殺人、致命傷、暴行加害、暴行被害などによる脳へのトラウマ的ダメージが共感覚やHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン、極度の過敏体質)、発達障害、サヴァン症候群などの出現などにどう影響するかを知りたく、まずは戦史の事実関係を調査しております。
 かの石原莞爾がアスペルガー症候群だったと言われるなど、当時の上中級軍人には特殊能力者を思わせる痕跡はかなり多く、むろん当時は戦争勝利のための能力が求められたにせよ、陸軍将校・近衛兵の血を引く共感覚者である私としましては、極めて関心が深いところです。
 岡山出身の閲覧者の方は少ないですが、ご関心のある方はご注目下さい。

●岡山の郷土部隊の調査研究
http://iwasakijunichi.net/okayama/

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◆【岩崎式日本語の開発】

 この言語についても活動は続けておりますが、進展の程度は芳しくないところです。
ただし、本年は、東京芸術大学大学院の関根ひかり氏と共に、下記の特設サイトを立ち上げ、活動を開始しました。
 岩崎式日本語の世界は、いわば語学どころではなく、言語学、哲学、人間学、精神病理学、数理論理学などを含んでおり、難解であるというほかなく、人に勧めるという性質のものではないですが、ご関心のある方は今後ともご注目いただければ幸いです。

●岩崎式日本語・言語学のメインページ
http://iwasakijunichi.net/gengo/

●岩崎式言語体系ペディア(百科事典)
http://iwasakijunichi.net/isrelangs-pedia/

●岩崎式日本語特設サイト
http://iwasaki-conlang.com/

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◆【各種被害女性の専用寮への協力】

 以前より、性被害、DV被害、特殊な身体障害などを抱える情報秘匿型の女性寮の総務・事務・サイトシステム管理の協力をさせていただいております。
 教室にまでお邪魔して学生に語る大学での講義とは異なり、(各女性の個室に入れないので)共用スペースや庭先程度までの訪問になっておりますが、簡単な座談会などに招聘されており、今後とも活動を続ける予定です。
 こういった被害女性専用施設(DVシェルターなどと呼ばれる)は、施設名称や所在地などの情報公開型(ノンコンフィデンシャル)と情報隠蔽型(コンフィデンシャル)とに分かれており、前者はNPOや自治体、後者は心ある個人資産家や被害者の親族・遺族の手によるものが多くなっております。
 私のサイトへのご訪問が縁でご入寮された女性は、性被害やDV被害によって脳神経系がダメージを受け、共感覚や場面寡黙症、社交不安障害などが発現した女性となっております。

●シェアハウス型女性寮との連携、および入居女性による特殊症状・知覚の解説の分担について
http://iwasakijunichi.net/women.html

●女性寮サイト
http://confidential.jpn.org/
 ↓↓
【追記始め:2017/10/13】
 現在は下記に移動。
●女性専用スペース
https://iwasakijunichi.net/women/
【追記終わり:2017/10/13】

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◆【和歌・古典の調査】

 同じく長年続けております和歌・古典関連では、本年もいくつか調査・研究を提供いたしました。
 地方の神社の境内には、今でも建立の経緯や出典が不明の歌碑(石碑)があり、地元住民の団体からこの和歌の分析・解釈を依頼され、提供するなどしました。
 その他、以下のページをご覧下さい。

●和歌の調査研究・仕事歴
http://iwasakijunichi.net/waka/rireki.html

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◆【ウェブサイト自体について】

 岩崎純一のウェブサイトは、ソースコードも岩崎の手打ち入力による自作であり、本年から本格的にスマートフォン対応いたしました。
 Googleは、端末の画面幅によって自動的にレイアウトが変わるレスポンシブ・デザインを推奨しておりますが、最近ではこれを好まず、こだわりのあるサイトを望む人も増えており、本サイトも、手動でのレイアウト切り替えボタンを設置しております。
 また、白黒基調の新聞のような外観を好む私ではありますが、現在のところ、長年の皆様との交流で定まってきたテーマカラーである緑を基調としたサイトにしている次第です。
 万人向けのサイトというものはないとは思いますが、ご要望やご不満点などあれば、ぜひお問い合わせ下さい。

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◆【ご意見・ご感想・ご要望などをお寄せ下さい。】

●岩崎純一のウェブサイトへのご意見をお寄せ下さい。
(ここが見にくい、こういうページが欲しい、など)

●岩崎純一の活動へのご意見をお寄せ下さい。
(こういうことをして欲しい、など)

●岩崎執筆の文章が掲載された無料学術雑誌で、まだ在庫があるものがございます。ご希望いただければ郵送いたします。詳しくはサイトをご覧下さい。

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◆【一部の方へのお願い】

 時々、岩崎純一のウェブサイト内の共感覚画像などを、著作権法に違反して、商品として使用し利益を得たり、岩崎が一部の権利を持つ(出版権は出版社が持つ)岩崎登場の雑誌ページをスキャンしてネット上にアップしている方がおられます。
 後者の場合、私自身の権利上の処理のみならず、出版社への厚意での報告など、本来不要な手間がかかってしまいます。
 岩崎純一の多くの著作物は、著作権法や岩崎自身が主張しているクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で提供しております。
 以下のページ内容にご注意いただければ幸いです。

●法令に基づく表示
http://iwasakijunichi.net/law.html(岩崎純一のウェブサイト内)
http://iwasakijunichi.jpn.org/law.html(岩崎純一学術研究所内)

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 長い報告となりましたが、ご一読いただいた方々には厚く御礼申し上げます。

以上

岩崎純一
posted by 岩崎純一 at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ・挨拶事項

2017年01月07日

遅い?新年の挨拶

皆様

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 とは言っても、毎年迷うのが挨拶の仕方、季節のマナーです。今日からは、年賀状への返信などは、寒中見舞いになりますね。しかし、これも人によって感覚が違うらしく、1月5日から寒中見舞いだという人もいれば、1月15日あたりでも「明けましておめでとうございます」と言う人もいます。こういう場合は、送る相手の社会的地位、マナー感覚、普段の性格、日本語の癖などから類推して文面を変えたり変えなかったりする、というところに落ち着くのが「マナー」かもしれません。

 このほか、「新年明けまして」は間違いで「明けまして」で始めるのが正しい、目上の人には「迎春」では無礼で「謹賀新年」が正しいなど、注意すべきとされる点も色々とありますね。年賀状の相手を、「最初から送る人」と「もし年賀状を頂いたら返信する人」と「メールで新年の挨拶を送る人」と「新年の挨拶自体送らない人」とに分ける作業も人によってはあるでしょうが、もはや分けるほどの人数に年賀状を出さない人のほうが多いはずで、私もそうです。

 私としては、目下の人から「迎春」「新年明けまして」の年賀状やメールが来ても、「まだ(知識としては)日本語やマナーを知らないのだな」と思うだけで、言語能力やマナーがない人だとは思いませんが、古い社交辞令の知識が足りないことについては、年配の人、高齢者ほど結構な剣幕で怒る割合も高くなるので、注意するに越したことはないようです。

 ただし最近では、こういった「人の顔色を窺って、良き社会人としての自分の立ち位置を維持する」社交辞令上のマナー(表向きのハードでフォーマルな面)よりも、例えば、独身者に対して家族の写真を裏に載せた年賀状を出さない、心身が大変な状況にある人に対しては、葉書での返信が大変な(暗黙裡に返送を強要することになる)年賀状よりも自分なりの言葉で温かいメールを送る、など、相手が置かれた状況についての内面的な(ソフトな面での)思いやりのほうが、人として大切だと思います。日本中、世界中の人々全員が正月を同じように祝っていると思うことが、最大のマナー違反と言えるかもしれませんね。

 しかし、これも社会の上層部の年配男性や一般の高齢者ほど、後者(ソフトなマナー)よりも前者(ハードなマナー)を重視しているということは、社会に揉まれる中で如実に感じるわけで(冠婚葬祭、中元、歳暮など)、伝統的な社交辞令文化と新時代の挨拶マナーの程よい折衷文化が日本に起きるのは、もう少し先になるのだと予想しているところです。

 一方で、このあと1月末の旧暦の元日に、旧暦で生活している和歌関連の数名の知人と新年の挨拶を交わすことになりますが、これらの方々との挨拶も、次第に気軽なメールや新暦での普通の挨拶に移行しており、時代錯誤・時差ボケとさえ言えるような旧式の社交辞令は、もはやほとんど無くなっています。それでも、時候の挨拶、年賀状、冠婚葬祭、中元、歳暮、葬式仏教などが「社会人として守るべき日本の伝統」だと思って新卒の若年者を叱っている企業の上司の皆様方、社会の上層部の人々には、それらのほとんどが明治の近代化によって初めて成立したものであることを知って、表向きではない旧暦生活の圧倒的な伝統を目にしていただきたいということは、しばしば思います。

 ともかく、今のような時代にあっては、どの世代が特に正しくて、どの世代が特に間違っているということはないと思うわけです。時代を知れば知るほど、何がマナーなのかが分からなくなるのが奇怪です。
タグ:新年
posted by 岩崎純一 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ・挨拶事項

2016年12月10日

電通の価値観と東大で哲学を学んだ女性の過労自殺

200px-Dentsu_Head_Office_Day.jpg 先月7日(今から書く内容に似た、別の場への提出原稿を書き始めた日)、テレビでは、電通の女性社員(高橋まつりさん)の過労自殺をめぐって東京労働局が同社の強制捜査に入ったニュースが流れていた。ここ最近、疲労で発熱や頭痛に苦しめられていた私だが、この女性に比べれば実に大したことのないものに思える。やや気力が戻った先月22日は、福島県沖での地震で津波が発生し、日本中が東日本大震災を思い出したが、死者が出なかったことに皆安堵している。

 個人の「生」や「命」が現代日本という文脈においていかにあるべきか(あることができるか)について、私は常々考えているが、とりわけ東京大学で哲学を学んだ冒頭の後輩女性の自殺には、いつもと違うものが感じられ、心を痛めた。東大の哲学・文学・教養系の後輩男性の自殺は定期的に起きているが、女性のこのような自殺は久々に目にした。後輩と言っても、私は早々に同大中退の上、日本庭園や神社仏閣への鬱々とした放浪の旅を経てしぶとく生き残っているのに対し、死の直前まで男性上司らへの不満を、Twitterという新時代のツール上に書く気概を見せたこの女性のほうが亡くなった事実には、どうしても驚愕せざるを得ない。

 東大哲学を捨てた私が生き残り、東大哲学を完遂した者ばかりが世に知られず自殺している現状を見ると、どうやら東大哲学は私の知らないところで死の方法を教えているのではないかという疑念が生じるが、もちろんそんなことはない。ただし、東大卒・出版社勤務だった鶴見済が『完全自殺マニュアル』を著し、社会現象を巻き起こしたように、東大哲学・社会学学閥は、表でも裏でも日本人の死生観をコントロールしてきたのだから、そのレールを早々に降りた者として、私も今回の過労自殺について思いを巡らせておきたい。

 とにもかくにも分かることは、「この女性にとっては、電通(日本の大企業)の価値観よりは東大哲学が安住の地だった」ことである。ここまでは、この女性と私とで極めて価値観が似ている。

 日本では、自殺者は男性のほうが女性の2.5倍〜3倍くらい多いが、自殺の動機としては、経済的理由、病気の苦痛、家庭問題以外に、今でも哲学的自殺と呼べるようなものが含まれている。哲学的自殺に含まれると思われる東大の哲学・文学・教養系(自然科学系も少しあり)の男性の死はいくつか見てきた。特に、これらの分野の中退男性は自殺率が高く、その頭脳の消失が国益の損失や科学発展の鈍化に直結するからか、厚労省や日本中退予防研究所などの調査対象に入っており、怪しい書面が送られてきた当事者である私の実感からすれば、東大中退男性のリストがNPO法人間で不当に売り買いされているような気がするのだが、ともかく、今回のような女性の自殺は痛恨の極みである。

 ところで最近、宮沢賢治の作品を読んでいるが、彼の「失うものがない自由人」としての書きぶりに、非常に気分爽快になることがある。例えば、賢治作品には、人間や動物の大声を聞いて耳が「つんぼ」になったとか、人間や動物を「きちがひ(きちがい)」になるまでいじめたといった表現が出てくる。読むときに、いわゆる丁寧な言葉遣いをして本質をごまかす「いい子」でなければならないことはないし、賢治自身が「いい子」を気取っていないところに、賢治作品の真の魔術的・悪魔的・神的価値があるのである。

 今は時代も変わり、精神障害分類も法律も用語も(科学的根拠はありつつも「いい子」風に)改訂され、せっかく宮沢賢治が用いた「つんぼ」や「きちがひ」はもちろん、およそ20年前までの日本の精神科医らが用いた「分裂病」や「躁鬱病」、「鬱病」、「癲癇(てんかん。現在とは定義も分類も異なる)」といった用語を使うことさえ難しい時代となった。

 だから、冒頭の女性のような過労死・過労自殺についても、わざわざブラック企業やブラック上司の言動によって従業員が「PTSD(心的外傷後ストレス障害)や聴覚障害になり、労災認定された」とか、「死の直前には、彼(彼女)のSNSに鬱的傾向を示す言葉が綴られていた」などと軽々しく(被害が軽かったように)書かざるを得ない。

 本心をさらけ出して、「ブラック企業やブラック上司の言うことなんか聞きたくないので、私は今からつんぼになります」、「きちがいであるあなたのパワハラのせいでこっちがきちがいになりそうなので、今日をもってこの職場を辞めます」などと、素直で気分爽快な宮沢賢治的言動や発狂をしようものなら、したほうが頭がおかしいと思われるに決まっているのである。

 今や、現実に労災、PTSD、気分障害、不安障害、パワハラなど(の現代精神病理学的な枠組)に苦しみ異様な労働人生や自殺前夜を過ごす若年者を前にして、賢治童話や賢治的労働社会の理想郷、そして学問・芸術一般はどうあればよいのかを、論じなければならない時代になった。私の労働観や理想郷観も、人間学・精神病理学・社会学寄りのものにはなっていくのだろう。

 先の過労自殺女性が遺した文章から読み取るに、東大で哲学を学んだこの女性は、鋭い哲学的直観によって日本社会の欺瞞に気づき、Twitterで男性上司への不満を綴るという反抗まではやってみたものの、最終的に宮沢賢治のような包容力を持った(母親と数名の友人以外の)人間に、この世で出会うことはなかった。その意味では、この女性は宮沢賢治的感覚を孤独の中で体感していたと思う。

 この女性に企業と上司が要求したものは、「女子力」や「即戦力」と名付けられたものであった。そんなカルト宗教的・熱狂的な競争社会に自分は巻き込まれまいという気持ちだけは、この女性にはあったものの、その気持ちは結局、母親と数名の友人を除く身近な人たちからは、社会において持ってはならない誤ったものであると解された。

「人生は極めて楽しくも苦しいものだ」という賢治感覚(例えば、賢治作品に出てくる「つんぼ」感覚、「頭がぐるぐるする」感覚、「まはりが変に見える」感覚、「きちがい」感覚)の苦悩・発狂体験を経てから世に放たれたのではない(そういう直覚体験を怖がって、見て見ぬふりをしている)多くの欺瞞的社会人・企業を前にして、現代日本の文脈のどこかにかろうじて残された賢治的包容力が、この自殺を「優等女性の気の毒な労災」に仕立て上げざるを得なかったとも言える。

 私自身も、てんかんや分裂病ではないらしいものの、これまでに参加したどんな知覚・心理関連試験のデータにおいても、明らかな哲学者気質、共感覚、直観像記憶、片頭痛・閃輝暗点(アウラ)の症状を示しており、「まるであの宮沢賢治ですね」などと言われ、重責を伴う労働や煩わしい人間関係を離れて自然観賞や趣味の時間を多分に取るよう言われているが、言われる前からそうしてきたがゆえに生き残っているとも言えるのだろう。

 私の場合は、「東大の哲学や表象文化論は自由であり、時代を牽引している」といった言説に疑念を覚え、そこから「東大の哲学学閥や表象文化論学閥から自由になるという生き方が現代において可能か」という視点の激動(自分の人生における本当の「気づき」体験)を自分の中で起こし、目標を設定することができたために、今のような人生を送っているから、どちらかというと、今回自殺した過労女性よりは、あくまでも自然死に身を任せた宮沢賢治のほうに、生き方が近いとは言える。そもそも、この女性はどうしても「生き方」を見出せなかったから、自ら亡くなったわけである。

 換言すれば、私は結局のところ、「東大哲学それ自体が電通的である、という哲学や気づき」を持っている自覚があるのだが、今回の過労自殺女性はTwitterに、「私は電通でこんなに苦しい思いをしている。東大卒だけれど。」という趣旨と論理の主張を書いた一点のみが、私とは唯一異なる価値観なのである。

 私の場合は、過労・心労の一歩手前で何とか自力で気づいてきた人間で、自宅での沈思黙考や、和歌、日本庭園、神社仏閣、茶、花、雅楽などの興趣に触れることが心の安定手段として確立しているふしがある。これには私自身が驚嘆しているのだが、そういう手段を持たずに労働を続けてきた今回の女性のような、あまりに現代日本社会の言説に対して従順で素直で純粋な人には、現代日本社会(特に大人)の欺瞞を見事に暴くことのできる人間、芸術、趣味に出会って欲しいと願わずにいられない。

 私としては今後、従来の西洋哲学でも現在の日本の労働観・社会観でも語れない、自分のテーマである「日本的実存」を軸にした理想の哲学を探求していきたい。


【関連ブログ記事】

●およそ50の大学と関わってきて思うこと(命名「大学総動員キラキラ体制」)
http://iwasaki-j.sblo.jp/article/177990948.html


【画像出典】

●電通
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A
posted by 岩崎純一 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会論・人生論