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遅い?新年の挨拶
(岩崎純一 at 01/07 21:45)
皆様

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 とは言っても、毎年迷うのが挨拶の仕方、季節のマナーです。今日からは、年賀状への返信などは、寒中見舞いになりますね。しかし、これも人によって感覚が違うらしく、1月5日から寒中見舞いだという人もいれば、1月15日あたりでも「明けましておめでとうございます」と言う人もいます。こういう場合は、送る相手の社会的地位、マナー感覚、普段の性格、日本語の癖などから類推して文面を変えたり変えなかったりする、というところに落ち着くのが「マナー」かもしれません。

 このほか、「新年明けまして」は間違いで「明けまして」で始めるのが正しい、目上の人には「迎春」では無礼で「謹賀新年」が正しいなど、注意すべきとされる点も色々とありますね。年賀状の相手を、「最初から送る人」と「もし年賀状を頂いたら返信する人」と「メールで新年の挨拶を送る人」と「新年の挨拶自体送らない人」とに分ける作業も人によってはあるでしょうが、もはや分けるほどの人数に年賀状を出さない人のほうが多いはずで、私もそうです。

 私としては、目下の人から「迎春」「新年明けまして」の年賀状やメールが来ても、「まだ(知識としては)日本語やマナーを知らないのだな」と思うだけで、言語能力やマナーがない人だとは思いませんが、古い社交辞令の知識が足りないことについては、年配の人、高齢者ほど結構な剣幕で怒る割合も高くなるので、注意するに越したことはないようです。

 ただし最近では、こういった「人の顔色を窺って、良き社会人としての自分の立ち位置を維持する」社交辞令上のマナー(表向きのハードでフォーマルな面)よりも、例えば、独身者に対して家族の写真を裏に載せた年賀状を出さない、心身が大変な状況にある人に対しては、葉書での返信が大変な(暗黙裡に返送を強要することになる)年賀状よりも自分なりの言葉で温かいメールを送る、など、相手が置かれた状況についての内面的な(ソフトな面での)思いやりのほうが、人として大切だと思います。日本中、世界中の人々全員が正月を同じように祝っていると思うことが、最大のマナー違反と言えるかもしれませんね。

 しかし、これも社会の上層部の年配男性や一般の高齢者ほど、後者(ソフトなマナー)よりも前者(ハードなマナー)を重視しているということは、社会に揉まれる中で如実に感じるわけで(冠婚葬祭、中元、歳暮など)、伝統的な社交辞令文化と新時代の挨拶マナーの程よい折衷文化が日本に起きるのは、もう少し先になるのだと予想しているところです。

 一方で、このあと1月末の旧暦の元日に、旧暦で生活している和歌関連の数名の知人と新年の挨拶を交わすことになりますが、これらの方々との挨拶も、次第に気軽なメールや新暦での普通の挨拶に移行しており、時代錯誤・時差ボケとさえ言えるような旧式の社交辞令は、もはやほとんど無くなっています。それでも、時候の挨拶、年賀状、冠婚葬祭、中元、歳暮、葬式仏教などが「社会人として守るべき日本の伝統」だと思って新卒の若年者を叱っている企業の上司の皆様方、社会の上層部の人々には、それらのほとんどが明治の近代化によって初めて成立したものであることを知って、表向きではない旧暦生活の圧倒的な伝統を目にしていただきたいということは、しばしば思います。

 ともかく、今のような時代にあっては、どの世代が特に正しくて、どの世代が特に間違っているということはないと思うわけです。時代を知れば知るほど、何がマナーなのかが分からなくなるのが奇怪です。

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